水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

居場所 それは自らを生かす場所

小学校の同級生の彼女、おとなしく、皆と交わることも
あまりない彼女でした、でも成績は良かった


小学校を卒業して彼女はどこか田舎の方へ引っ越した
と聞いた


それ以来、クラス会にも顔を出すことは有りませんでした。



それはいつのクラス会だったろう、幹事が何々さん来るわよ!!
と、50才も過ぎた頃の会でした。


私はよく覚えて居なかったのですが彼女は、覚えてくれて居ました、
(変わり者同士だったからか?)


野菜党君でしょ?って、


ちょっと嬉しかったのです(アホ)、そして彼女を囲んで
彼女の身の上話は始まったのです。



あの頃は辛かったと、登校もしたくなかった、交わってわいわい
やることも出来なかった、と


そんな話から、今はどうしているのかと話は変わっていった


旦那は陶芸家です、と


第一印象は、この世に私より孤立している人がいる、ひょんな
ことから知り合い、でも、彼は全く興味も示さなかった


私から押しかけたんですよ、栃木の山奥へ


それが本当に山奥で、何もないところ、電気も水道も無かったんです、
そこで彼は一人でお皿を焼いていました。


押しかけた私をみても、何も言わなかった、勝手にすれば
、でした。


山奥の生活が始まった、まさに始まったのです、例えば水汲み
そうなのよ、水は汲みにいくの、その山小屋から谷を降りて
川まで水汲み、あの天秤棒で水を担ぎ、小屋まで上る
これが日課だった


灯りはランブ、信じられないでしょう、でもそうやって
私達の生活は始まったの、と


彼女は懐かしむような嬉しそうな顔で語ったのでした。


水汲み、薪の用意(薪は竃でも大量に使う)、大自然の中の生活に
実は生き生きしていたと、彼女は語ったのです。



ふとしたきっかけで、彼の陶器は売れ始めたと、それを全然喜ばない
彼、その気持ちもわかったの、でも、年齢を重ねて
このまま山奥では続かないとは思った、と


いやいやながら今は個展も開いていると



生き生きしているとはこのことだろう、谷へ水汲みするような
生活、それを良しとした彼女、それも本当だろうと


彼女は居場所を見つけたんだ、生活をする為に、何もかも
自分で整えねば成らない環境に身を投じた彼女


それが居場所だったんだと、思った



よく飛び込まれましたね、と、私


そうね、でも、あの作品を見たら、どうしようも無かったの
それをひたすら作り続けるその人も


出逢い、なのかなあと、彼女はふと遠くを見つめました。