水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

雨ですねえ(^_-)

少なくとも東京は・・・・、


あんなに暑かった日々がだんだんと遠のいて行く
もう秋だよと


先日観た中秋の名月、この月が私達哺乳類を誕生させたと
ものの本に書かれて居ました。



生命とは何か


って考えても何も分からないのですが(ー_ー)!!



私がこのブログを始めたのはもう7年前、最古参でしょうか(笑)


動機は病、そして倒産しそうな会社、でした。
これ私なりのWパンチで、いったいそれから
どう生きて来たのか、


ポカンと空いている年月を感じます。


余命二年を伝えてくれた主治医がポツンと、もう
七年ですねと


☆お仲間のご家族です。



窓際のトットちゃん、これは黒柳徹子さんの本ですが、第二弾!!が
出たと有りました(今年90歳とか)


ここにはトモエ学園の小林園長のことも改めて書かれています。


トモエ学園という特殊な学校、普通の子供には用が無い学園でした、
母に連れられて私は小林園長の前に座ったのです。


母が必死で探して来た学園、そうだったのだと今は思います、私は
ずっとずっと親不孝でした、普通ではないことが
どれくらい母を悩ませたかと


私はクレヨンで絵を描いていました、トモエの運動場の端に鎮座
していた客車を描きました、5歳、そのことだけは今でも
鮮明なのです、それは多分投げかけられたやさしい言葉
だったと


君は絵がうまいんだねと


目の前の小林園長先生の眼差しと共に
記憶の扉が閉じることは無かった



このブログを続けて来て良かったと、それは出逢い、
それも魂の出逢い、


それは私が勝手に思っているだけかも知れませんが、


ただの変な子がそれから60年以上過ぎて、


ああ、そうだったのかと本当に思えたのですから
心より感謝しか有りません。


私はただの変な子だったのではなく、立派な発達障害だったんだと
今更理解したのです。



雨ですねえ、涼しくなりました、老体に鞭打ちという言葉が有りますが
もう少し、頑張ります!!