誰もが心に持って居る秤 2
これくらい山道でしたかねえ
家族には疎んぜられ、肝心の母親からは罵倒された先輩、それはあの山頭火の詩のような心境だったろうか
分け入っても分け入っても青い山
親孝行とは何だろう、この初心を貫徹せねばと分け入る山に、進んでいると思っても戻されてしまうのかも知れない、親孝行だって?、お前甘いよと。
ある日先輩から手紙が届いた、あの頃重要な知らせは手紙だった。そして先輩は、12歳年下の私に、手紙をくれるような人だった。
家族のこと、母親のこと、様々ある中で、一番先輩が困ったのはこの故郷での糧だった、働く所がないのだ。近所にある仕事と言えば、キコリくらいで、又それくらい山の中だった。
その手紙にはこう書いて有った、大阪に出て、どさん子ラーメンの修行に行くと。
そしてしばらくしたら、どさん子の修行は終わったが、市場調査の結果、この山の中では店は出しても無駄だと言われたと。当時、私も一度訪ねたことがあり、さもありなんと思ってしまった。
それは新宮から熊野本宮に向かう街道、今でこそ(熊野三山が世界遺産に登録の後)整備され賑やかになったが、其のころは、対抗車線を通る車とすれ違うことは皆無に近かった。
熊野本宮の手前の街道沿いに先輩は、土地を借りようとしていた。そこに市場調査が入った、これは無理ですと。
店舗の成功は、街道を一時間に何台の車が通るかで決まると、どさん子の調査結果が有ったのだと思う。そんなもの見なくても、ダメだと思った。
しかし、先輩の心には「秤」がない、店の成功か撤退かなどと測る秤を持って居なかった
そして先輩は、この、車より猿やウサギの多い街道に、店をオープンしたのでした。
続く。
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