水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

樋口恵子さんの希望証明書

あまり縁起の良い話ではないので、興味が離れている方は、どうぞ飛ばして下さい。



樋口恵子さん、高齢社会を良くする女性の会をの理事長で、家政大学の名誉教授です。このご名刺に、このようなことが書かれて居ます。


私、回復不能、意識不明の場合、苦痛除去以外の延命治療は辞退致します、と。


名刺の裏側には、娘、樋口陸にもよく申し付けてあります、と。



1932年のお生まれで、その時お父様は55歳、恵子さんが就活の真っ最中だった頃にお父様は77歳で逝かれた。


その前にお母様がすでに55歳で亡くなっていて、その次に実のお兄様が16歳で亡くなる。その後彼女は結婚されるのですが、その夫が重度の免疫不全で亡くなる、35歳だったとのことです。


だから、私の成育歴は、死に満ち溢れて居た訳です。


★樋口恵子さんです。この記事は、リビングウイルからです。



そして40歳を過ぎて、もう一回結婚をされます。そしてその夫も送ることに成ります、その夫の言葉が、彼女の心を動かしました。


それは・・・、


人は最期になると、心も揺れ考えも変わるものです。


その夫の口癖は、俺はプロダクティブで無くなったら、生きている気はしねえなあ


だったと、それが彼の得意のセリフでしたね、と。



気候切開もされ、寝たきりなった夫、その姿を見ながら思ったと言います。まさにプロダクティブではない夫が、学生や家族が来ると結構嬉しそうだし、人は弱ってしまった長い時間も、まぎれもなく自分の人生なんだと。


そして彼女は思ったのでした。人は元気でいる時とそうでない時と、その時その時で考えは変わるものです、と。



私はこれを読みながら、人は命ある限りなんだなあとしみじみ思いました。命を抱きながら、それを手放すことへの拒否は、元気な時に思っていることとは確かに変わるのだろうと、そう強く感じました。


失礼しました。