水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

親不孝な部品達

昔のことは覚えて居ないことの方が多い、自分は、親不孝だったなとおぼろげには思うのですが、いや絶対親不孝だった、でもどのように両親を困らせたのかはやはりおぼろげです。


あまり見ない鏡、でも、髭剃りで残ってしまった一本の髭をハサミで切るようなときは、鏡を観ねばならないです。


そうやっておそるおそる(何故自分の顔を見るのにおそるおそるなのか)鏡の自分と対面するのです、いや久しぶり!なんて、照れている自分、何だこの気持ちは、と。


その見慣れたはずの自分の顔、その部品を一つ一つ眺めていたら、温泉のようにああそうだったなあと、記憶がぶり返して来たのです。


口、口を見ていたら、乱杭歯の記憶が蘇りました、あの頃母は、私の歯並びを見ながら、凄く困った顔をしていました。どこかに良い医者は居ないかねえと、独り言を覚えて居ます。


☆こんな感じの歯医者でしたか、とにかく暗かったのを覚えて居ます。



そしてある日、行くよ歯医者だよと、バスに乗って連れて行かれたのは、寂しい雰囲気の、看板が傾いた歯医者さんでした。私が小学校低学年の時だったと思います。


乱杭歯を直す歯医者さん、日本でも稀な技術を持つところ、それがこんなに傾いていて良いのかと思ったかは忘れましたが・・・、


これはまた!!と、その初老のお医者が私の口の中を見た途端に、驚きをかくしませんでした。


私は、幼稚園の頃虫歯がひどく、行った歯医者がよくなかったのか、奥歯三本を抜いていたのです。


乳歯は抜いてはいけない、例え虫歯になっても、だから後から生えてきた歯が、こんなにあちこち向いて出て来たんだよ。


お母さん、これは大変ですよ、いったいどこの歯医者ですか、抜いてしまったのはと怒って居ました。



母は、すみませんすみませんと謝りながら、先生何とかなるでしょうか?と何度も何度も頭を下げて居ました。


母のこの姿は、よく記憶しています、自分の歯はそんなに大変なのかと、これはおぼろげですが・・・・、


そうやって先生は私に、しばらくの我慢と、いわゆる歯の矯正を施したのです。それは拷問のような矯正でした、口の中は血だらけで、やっとその日が終わり。私の涙は既に枯れて居ました。


あの時代、何もかもが発展途上の時代で、歯医者の麻酔も、ろくなものではなかったのかと思って居ます。


それから一週間に一度くらいの歯医者通い、バスに乗り私は何度もしらばっくれようと思ったのですが、その度に、母の姿が脳裏に浮かんだのです、ここでバックレたら母が泣くなと、それが幼い私にも悲しかったのです。


こんなことも親不孝だったと、今でも口を見るとこの母の涙が、私の口に伝わり落ちてくるのを感じるのです。



親不孝な部品達、次は耳ですかねえ、鼻ですかねえ、これは又の機会に。