水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

聖マリア観音 40年の結晶がもうすぐお披露目される

たった一人で、聖マリア像を彫り続けた彫刻家の物語が
ニュースされて居ました。


その人、親松英治氏、もう89歳となる。


島原の乱、あのキリスト教弾圧の結果、3万人以上の信者が
亡くなったという、時のリーダーはあの天草四郎16歳、
原城にこもり、幕府軍13万人に抵抗をして


全員討死にとなったと、記録されています。


その討死にした彼ら彼女らを祀る場所が、未だに整って居ない
ことを知った親松氏(当時まだ40代の時)、何か
自分の集大成の仕事をせねばと思ったのでした。

制作中の一場面です、彫っている対象は幼子キリストです。クスの木の
大木を輪切りにして、部分部分を彫り進めて行く作業なんですね。



最初は30センチほどの木彫りから始まり、等身大のマリア像を
作成、それは当時のヨハネパウロ二世に贈られたと、それ以来
バチカンの応援も受け続けて来たのです。


この大きさは、おおよそ、鎌倉の大仏様くらいとか、木彫りの像としては
おそらく世界一、でも、そんなことはお考えではないでしょう。


このマリア様のお顔、観音と名付ける理由が分かります、マリアという
より日本の慈母観音のようなお顔です。


89歳の老体が上がる梯子は、大変を越えていると思います、足元が不如意
になり、本当に危ない、もし落ちたらとご本人も覚悟を決めていると



まあ、そういう訳で、まだこの全景を観た人は居ません、とうのご本人も
観ていないのですから、来年(2023年)3月に、島原で御開帳と
なるとか、是非行って見たいと思う私です。


人生とは何?、人生に共通の目的は有るの?と悩んだ若い頃、そして
今でも霧の中で迷うような生き方の私、


迷うのが人間と、どなたかがおしゃって居ました、迷わなかったらそれは
人間ではないよと、


この彫刻家は、40代の時に出逢った課題を我が人生の仕事としたのでしょう、
迷いながらか、迷わない為か、


私は思いました、決意して、木を探し、それに全財産を捧げて歩きはじめた
道、それでもずっと迷いの中にいらしたのではないかと


振り返ったらもうこんなに登っていると気づく山登りのように、
彼はふと気づいたら40年の月日が流れていた、


何時の日かもう迷わないと思う以前に、迷えない道に差し掛かった
のだと感じます、集大成、それがお披露目になります。




聖マリア観音、美しいです、これに着色がされるとのこと、う~ん何色なんでしょうか
、着色、要らない気もします(ー_ー)!!