水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

一カ月検診 三年ぶりに上がった数値((+_+))  水彩画

以下、癌だの何だのと面倒くさく書いています、どうかご興味の無い
方はスルー下さい!!


余命は二年ですねと診断されてもう6年が過ぎんとしています、
昨日は毎月一回の検診日でした、その模様を中継します。


ここは宮崎の高千穂峡、以前に描いたものです、涼しそうですね(*^_^*)



三年前、何の原因か分からないのですが、急に数値が下がりました。


掻い摘んで書きますと、もうこの薬が効かなければ
もう薬は有りませんと言われたザイテガという
アメリカ発の薬剤、これを処方されて約一年半、


私の骨は確実にやられました、骨を柔らかく
してしまう薬剤なのです、そして背骨の骨折
その時、この薬剤をしばらく止めて見ましょう
と、提案を受けたのでした。


背骨も大事ですからと、コメントつきでした


その時私は思ったのです、へぼ将棋、王より飛車を可愛がりって
命より背骨かと、でも、命が伸びても背骨がガンガン折れたら
生きている間の身体のクオリティは下がってしまう


背骨がガタガタで生きる三年と、背骨がしっかりした二年と、どちらが
良いかと暗に言われた訳です。



それが丸三年前、しかし、この薬が最後の砦と言われたその薬を
止めたら、翌月から数値がガタンと下がったのです。


(数値とは、癌の元気度を計る基準、癌が出す特殊なタンパク質量のことです
 つまり、それが多ければ多いほど癌は元気なのです)


この数値が下がった時、一番困ったのはお医者でした、何も言葉が
出ずに、こちらが申し訳ないくらいでした。


その下がった数値、下がったまま三年が過ぎたのです、それでも
お医者は、もう良いですとは言いませんでした。


密かに思っていらしたと、必ず上がるはずだと((+_+))


そして昨日の検査で、数値が動いたのです、たった0.21でしたが、
確かに上がりました。


私はその時のお医者の目を忘れないでしょう、多分、一生・・・、


三年もの間、ずっと上がらなかった、そんなはずは無いと思っていた
お医者、一年前頃には、私はこのような事例を知りません、と


そこまで言わせた私の状態に、?????が続いてきたのです。



パソコン画面を見ながらお医者の目がちょっと輝いたように
感じたのは私の錯覚か、いや違う、それは本心だったと
確信したのは、


パソコンからこちらに向かれた時のお医者の目は確かに微笑んで
いたからです。


私は更に下がったのかと思ったその瞬間、お医者は言いました、


上がりましたねえ、ちょっとなのですが、でもまだまだ想定範囲内
ですよ、もう少し様子を見ましょうって、


こちらが何も聞いて居ないのに、饒舌だったのです、


〇田先生~~~~~~~(-_-)/~~~ピシー!ピシー!



私が受け続けているのは標準治療というものです、これは多くの
犠牲のもとに積み上げられてきた治療法です、治験にしても
それが何百何千何万というデータが元になって、新薬が出来ます。


私の場合、その標準治療が示す道を外れてしまった訳です。


それも4年もの間、です。


そして昨日、お医者が喜んだように見えたのは多分、この患者、
やっと標準治療という線路に復帰したかと、そう思われた
のではないかと


この標準治療という線路は、どこまでも続く歌のようなものでは
有りません、いつの間にか黄泉の行き列車に繋がれています。


乗りたくないなあ、いや、絶対に乗るもんかと心で誓ったのですが、
いったいどうなるやら、


でもなあ先生、ちょっとなあ、患者は敏感なんですから


長文失礼しました、ここまでお読み下さり感謝!!です。