水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

人間理解は命がけ  水彩画

人間理解は死ぬより難しい


(以下は面倒くさいことを書いています、どうか面倒なことは敵わんと思われる方は
 スルーをお願いします)


こんな言葉を思い出し、その源泉である「心の処方箋(河合隼雄著)」
を久しぶりにめくってみた。


一項とりあげてみよう。
タイトル:人間関係は命がけの仕事である


“男女は協力しあえても 理解し合うことは難しい”では、


「夫婦が中年なって急にギクシャクしたりするのは、協力から理解へいたる谷間にさしかかっているとき。男女が互いに理解するのは不可能に近く、ときにそれは命がけの仕事と言っていいほどのことであることを、よくよく自覚する必要がある」と書かれている。


なぜ、「命がけ」なのか。
本項では、このように述べている。


「うっかり他人のことを真に理解しようとし出すと、自分の人生観が根っこのあたりでぐらついてくる。実際に、自分の根っこをぐらつかせずに、他人を理解しようとするなど、甘すぎる」


中年期以上の方は、この意味がわかるのではないだろうか。
大変なんだ。ほんとに。


河合隼雄は、「せっかく生まれてきたのだから、ときどき「命がけ」のことをやってみないと面白くない」と書いている。


もう、葡萄の季節、あっと言う間の一年だと感じます。



河合隼雄氏が書いているから正しい、そうは言いたくないが、
大変惹かれる言葉には違いない


こと人間理解については、その奥深さに驚愕する



夫婦とは何だろう、どこでボタンを掛け間違えたのかと思っても
分からない


いや多分、最初から掛け間違っているのだろう


男女が出逢い、愛?を語るのは、一つの本能に過ぎないと思う
その時点でおそらく誰もが、そこに第一ボタンがあることすら
気が付かない


だから掛け間違いではなく、掛けていないのだと思う


掛けていないのだから、ちょっと風が吹いたくらいでその服は
飛んでいってしまうのかも知れない


二人が向き合っている内は多分何も起こらない
向き合うのを止めて、同じ方向を見ながら向かい風を受け始めた時、
それは現れる


あらゆる場面で現れる、台所の流し台の生ごみ置き場の位置、そんな
ことにもそれは起きる


風呂に入った後の始末、歯磨きの後のシンクの汚れの始末、
洗濯ものの置き方、玄関の靴の置き方にも



そして何時の日か、向かい合って話をしようとしたとしても、
相手はそこに居ないことに気が付く


肉体という存在は確かにそこに居るのだが、それは心というボタンを失った
存在だからだ



ではここで諦めるのか、それはそれぞれだろう、あんなにこの人でなければと
泣きじゃくる程好きだった人が、いったいどこへ行ってしまったのかと


これは多分、双方で思っていることだろう



自分の人生観が根っこの辺りでぐらいつて来ることに向かい合えと、怖がらずに
向かい合えと、


相手も同じ山を登ろうとしている、相手は沢に落ちたのかもしれない、
だから見えなくなっているだけなんだと、そうであれば
沢まで降りて行き手を差し出そうと


自分の人生観のぐらつきは、それで整うのかも知れない、と



人間理解は命がけ、人間理解は死ぬより難しいと


それが神の命題なのかも知れないと、いくら進んでも青い山、の中で
ふと思うこと、です。