水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

人生は詰まらぬことの積み上げ 後日談  水彩画

掃除の日々(これを私は詰まらぬことと表現していますが、掃除好きの人には失礼!!)
が、真っ白に見えた黒いPタイルに外の紫陽花を映すまでに


美しく蘇った、食堂ホールの話をしました。


ただ、だまってたった一人でホウキとチリトリを持ち掃除を開始した上司
それも一年以上それが続いたその姿は、


その食堂を利用する学生達だけでなく、内側にも深い影響を
与えていたのでした。



私はこの職場を酷い職場と表現しました、いや今から思い出して
も酷かったです、厨房で働く若者達、あの頃はまだ金髪や銀髪
は居ませんでしたが、ケンカは日常茶判事でした。


もと空手部の青年が来た時には、一見やさしく見えた私と同室の先輩
が見事にやられました。なわばり意識では有りませんが、生意気な
やつは最初に叩く、それを先輩はやったのです。


しかしもと空手部は強かった、ある朝、ボコボコにされた先輩が寮に
帰ってきました、血だらけでした、直ぐに応急処置をして横になって
貰いました。


やられた!!と、でも私の頭は違うことを考えていました、これで先輩は
仕事に出られない、あの一トン近い飯を炊くのは、私ともと空手部かと、


全くその通りになったのですが、そのもと空手部は、全く損傷無しで、
ニコニコと働いていました、ダメージゼロ(ガーン)、でした。


☆この職場で私は、色々な日本料理を覚えました。この絵は違いますが、先輩達、腕は
良かったのでした(絵はイカの姿造り、の積りです)



本題から外れました、まあ、そういう連中の集まりのような職場でした、


しかし、変わったのです、一人一人の胸に何が起きていたのか、それは
分かりませんが変わったのです。


先ず変わったのが寮長(この人が一番ケンカが強かった)が変化した
のです。寮の掃除をやるぞ!!と一人で始めました、やり方は乱暴でしたが
彼が始めたら、寮員がやるしか有りません。


先ず、寮が綺麗になったのです、そして寮長が私に命じました。


野菜党!!、勉強会をやるぞ!!って、これこそ、驚き桃の木山椒の木
でした。


勉強会をやるぞ、ここは先生には困らない、沢山の教授もいらっしゃる
声を掛けてくれないか?と、


これ実は簡単なことでは無かったのですが、食堂ホールの変わり様は
学校全体に響いて居ました。私は手配に走り回り、興味を持ってくれた
イギリス語(当時この学校では英語ではなくイギリス語といっていた)
の先生においでいただきました。


ほぼ雑談の勉強会でしたが、これを皮切りに、勉強会は始まったのでした。


この寮で毎日やられていたこと、それはマージャンでした、夜中中やって
いたマージャン、そのお蔭で朝は起きられません、仕事に穴が空く、
そしてそれに酒は付き物でした。


タバコと酒とマージャン、くさい臭い、掃除はしたことがない、バラック
のその寮が


生まれ変わったのです、人って変わるんだ!!、驚きでした。


というより、隠れていた本当が現れた、が正解かも知れません。



人の真実は、無から有を生む、そして一人一人には、自分でも気づかない
真実の海があると


この体験は、その後の私の人生の指針となったことは言うまでも
有りません。


え?、お前の真実は見つかったか?ですか・・・・・、この物語を改めて
書きながら思いました。


私の真実を探す旅は、その後50年以上続いているなと、未だに探して
いる私かも知れません。


私自身のことは、また改めて書くこととします。


ここまでお読み下さり、感謝申し上げます!!


長文失礼しました。