我慢して生きる程人生は長くない 水彩画
散歩のついでに寄った本屋さん、平置きの台に積み上げられて
いたハード本、そこには、
表題の本が置かれていた。
クククっと笑う私が居た、あまりにも自分が思って
いたことに近かったからなのですが、
でも、そんな表面的な言葉だけで語れるほど、人生は浅くない
そうも思いました。
☆以前に描いたものです、水のうねり、人生と同じですね!(^^)!
昨日、このブログに書いた、会社は操業25年を迎えました・・・云々、
実はこの創業の動機の一つはこの「罪悪感」でした。
この会社を創業する前、一つの会社が廃業しました、その原因は
兄弟の放蕩でした、三人の男の兄弟でやっていた会社、普通に
やっていれば何でも無かった、いや立派な会社でした。
しかし、それは長くは続かなかった、兄弟の放蕩は、私が想像する
以上に進んでいたからです。
廃業する数年前、三人の兄弟は喧嘩しながら話し合いました、変な
言い方ですが、本当にそんな日々が続きました。
少しお金がある内に、お前が新しい会社を創業し、職人さん達を
受け入れられるようにせよと
実際、本当にそんな会社が出来たのです、そして前の会社は廃業、
新しい会社には十数人の職人さん達が移って来たのです。
それが私の地獄の始まりでした!!
でも今、25年が過ぎて、思うのです・・・・、生意気な言葉です。
人生に無駄なことは一つも無い、と。
私のような甘やかしが、受けたこの25年間は、私の偽善が剥がれまくった
貴重な年月だったと、
今は思えます。
この地獄の始まりを演出したのは、あのあと直ぐに他界した兄です。
これでお前の未熟も、少しは良くなるのかも知れないと、そう思った
かどうかは分かりませんが、私を救ったのはこの兄の放蕩だった
のかも知れないと、
あの憎き兄、今は心の中で溶解しています。
我慢して生きる程人生は長くない、
でも、本当の心の解放は、我慢というか辛さ、しんどさの
向こうにあるのかも知れない、と
今は、人生の不思議を感じる日々です。
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