自分の人生の傍観者ではない
これはネットの記事からです。
平昌五輪のハーフパイプ競技で、全く飛んだり跳ねたりしないでそのままゴールした選手が居たとのこと、アメリカ人で、ハーフパイプの人口が多いアメリカから出場はせずに、中国でエントリーして出られたのだそうです。
彼女はハーバード大学の修士課程を卒業した人で、何でその人がハーフパイプ競技にこだわったのか、それも演技が出来ないのにと、ネットでは大炎上したとのこと。
彼女曰く、私の人生はオリンピックを中心に回っているのと、その出場理由を述べたという。
自分の人生は、これこれこうだと説明している姿に、記者が表題の言葉を添えたのでした。
彼女は少なくとも「自分の人生の傍観者ではない」と。
では自分の人生を傍観して生きるなんて人が居るのだろうか・・・・、
心理学者、故河合隼雄先生がこんなことを話されて居ます、カウンセリングでの出来事です。
相談者 俺は親父に冬の寒い日に外に放りだれた、本当にひどい親父だった、云々
この話を先生はただ聞いていたのですが、急にクライアントが怒り出したと言うのです。
相談者 先生のその態度は何ですか!!、こんなきつい悲しい話を聞きながら、涙も出さ
ない!
先生 涙は出せるというもんやない、出るときは出るけど、出ない時は出ないんだ!!
相談者 何ですか、カウンセラーなんかしながら、先生は人の心は分からないのですか
先生 あんたは怒るけど、涙、出へんのや
こんなことを話していたら、相談者は「私もう、話出来ません」と言うて、突然ソファに横になり、グオーって寝てしまったんです、と。
暫く経ったらぱっと起きて、キョロキョロして・・・・、
「先生、不思議なことを言うようですが、自分の他の人に向けたかった怒りを、先生に向けて出すようなことってあるんですか?」
「ありますよ」と、先生
「はあ、僕は生まれて初めて自分より目上の男の人に、正面からどなることが出来ました、物凄く嬉しかったです」
そうなると僕は(先生)感激して、涙が出て来たんです(笑)
長い引用で失礼しました。
彼は、彼の親父に正面から対峙することが出来ないで来た、つまり長い間自分ではなく「親父を」生きて来たんですね。
親父の顔色をいつも伺いながら、どうしたら親父の機嫌は良くなるのかという命題を自分に課せながら、生きてきたんですね。
自分の人生の傍観者、これは他人事ではないですね。このハーフパイプ選手の心の奥底は見えませんが、必死に自分を生きていることだけは確かと思いました。
失礼しました。
追記
発表することでも無いのですが、先日の記事で公募展に出すとお伝えしたので・・・、出したのですが、結果は「選外」でした、また頑張ります。今日は選外絵の搬出の日で、絵が可哀そうなので、一番で預かりに行きました。
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