15夜の月に
ひろき、俺が死んだらお母さんと一緒に住んでくれよな。
もう直ぐ私の誕生日、何故かお袋は私を2月14日に産んだらしい。産んだらしいとは、役所への申請などが忙しくて遅れたりと、結構アバウトだったらしいので。
そしてその頃はまだ、バレンタインデイなどと言う日は勿論無いし、日々が食べ物を充足させるのに精いっぱいだったのです、それが戦後から3年過ぎた昭和23年2月14日、私の誕生日です。
ひろきとは、私の長男で、今時の青年ですが優しい息子です。彼、私の病を薄々は知って居ます、しかし誕生日を祝う席で、私がそんな言葉を出すとは思わなかったでしょう。
しかし、伝えて置かなくてはと思って居ました、妻は一人では生きて行けない(私の勝手な思い込みかも)、息子と妻はよく気が合います。
長い長い旅に出るのだと、だからその準備は怠りなくと色々整理はし始めて居ます。そして一番の準備が、家族との心の別れだと思って居ます。滞りなく気持ちを整理させることなどは不可能、しかし少しずつでも、覚悟を積み重ねていくことは大事と思いました。
息子は少し面喰ったように、でも小さな声で「うん」と言ったような・・・・、
ごめんな苦しめて、でも頼んだよと。
そんなことを言いながら、後10年も生きるかも、そう簡単にはオサラバは出来ないと15夜の月に向かって叫んでいた私でした。
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