水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

人生は嫌われてなんぼ

嫌われていたなあ、私は人から好かれる人間では無かったが
心の奥底では、好かれたいと思っていたと思う。


でもそれは徒労で有ったことは確かだろう。


だいたい好かれるって何だって、自分でも良く分からない
こんな俺を好いてくれなんて、無謀な想いとしか言えない。


★これは私の絵では有りません、水彩のプロの作品です、こんな風に描きたいなって
思った作品の一つです。



何度も同じことを書いた、私が今の会社を創業してからのこと。


旧会社の職人さん達を受け入れた会社のいわばトップで、
その時に痛烈に感じたことが有った。


みんなこんなに俺のことが嫌いなのかって。


そう思うと同時にこんな気持ちが湧きあがって来た。


哀れだなって、こんなに嫌いなトップのいる会社で、
働かねばならないのだから、と。



そんな時、ある支店の店長から、こんなことを言われた。


会社、潰れるんなら早めに言って欲しい、と。


この言葉を聞いた時、心の中で「ありがとう」って思ったのだ。


そして同時に思ったのだ、こんなことを言わせてしまうことに
一つの罪も感じたことを。



人は相手の一部分を見ながら、その人を好きになったりする。


趣味の友なんかは、その一例だろう。



結婚もそんなものと思う、その一部が顔で有ったり、垣間見えた
性格で有ったりする、でもそれはあくまでも一部でしかない。


私もそうやって、結婚してから43年を迎えようとしている、
その間、何度も別れるしかないという状態になった、その原因
はほとんど私の方だったが。


でも妻は、私の見えなかった一部を見つける度にこう言うのだ。


私、お義母さんと約束したから、と。


自分が貴方を見放したら、お義母さんに合わせる顔が無いと、のたまう
のだ。



今朝糠床をかき回しながら思った。


馴染んでいるなと、糠と後沢山の何かが馴染んでいる、そして一つの
深い世界を感じさせてくれるなって。


どうやら私の100倍、1000倍、妻の懐は広く深いのだろう。まる
で、この糠床のように。


すみません、だんだんとテーマから外れてしまいました。