妻に刻まれた記憶
昨夜はかみさんと外食をした、いきなりステーキという店、いろいろ驚いたが、これ主題ではないです。
その街に電車で着いた時、かみさんが呟いたのでした、駅の時計を見ながら、懐かしそうに、この時間ねあの子が産まれたのは・・・と。
午後の七時半だった、私は覚えていないこと、今は36歳になる息子の生まれた感触は母親だけに与えられた尊い世界なんだと、かみさんの呟きを聞きながらぞっとした。
かみさんの実感、それが私には少しも分からない、その分からなさに、ぞっとしたのです。
人生は毎日実感の連続に違いない、今こうして生きて居る、これが何よりの実感だと私は思っている、しかし・・・・・、自らの中から生命が産まれるという経験には、バンザイするしかないのです。
36年前の昨日、義母からの電話を私は昨日のように覚えている、産まれましたか!、ありがとうございます、母子共に元気でと、義母の嬉しそうな声だけは忘れない。
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