水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

怒る老人

あるコンビニでのこと、そのコンビニはソーシャルディスタンス
を尊重する為に、並ぶ所に足裏のマークが施されていて(今は何処も同じ)
私はそこに並んで居ました。


そのコンビニ、陳列棚が三列あり、その間が通路になっていて、
真ん中の通路が並べるようになっているのです。


4~5人並んでいたでしょうか、私は二番目でした。


そこへ、別の通路からダイレクトにレジカウンターに向かった
老人が居ました。


その老人に店員が言いました、


あの~みなさん並んでいらっしゃるのですが~~、
並んでいただけますか?と


その途端、ブチ切れたのでしょう、


何!!、何処に並んでいるんだ!!、全然分からないぞ!!
と、怒鳴り始めたのでした。


何だ!!この店は、そんな案内も出来ないのかと、自分の愚かさと
否を全く認めないのです。


店員さんは困り果てました、どうしようも有りません。


そうすると、次の番だった青年が店員さんに言いました、先に
やって上げて下さいと・・・、


この提案が良かったのかどうかは別にして、その時の店員さん
の安堵の表情は忘れません。



その老人、会計を済ませた後悪びれることもなく、青年にお礼を
いうこともなく立ち去りました、残念なことでした。



ああ、また俺と同じくらいの年代だなと、まさに彼も団塊の世代
だろう、貧乏で苦労もしただろうに、いや結構一部の金持ちだった
のかもなどと、どうでも良いことを考えた私でした。


あの場面が、彼が救われるかも知れないチャンスだったなと、


店員さんがあの~みなさん並んでいるのですがと、あの場面で、
あ!!、ごめんなさい、と気づいて、後ろに並べば何でもない
ことだったろう。


彼はそのチャンスを逃した、いや、また逃したのかと思いました。
何度も何度も、そんな普通の人になれるチャンスを逃して
きた、そう思いました。



ブログのお仲間がこのように、書かれて居ました。


団塊の世代の方はいろいろ世間に悪口を言われるけれど
私は尊敬もしているし
時代を切り拓いてくれたと感謝もしています。


その人たちが現在老人になっていて
頑固おやじではない、新しい老人像を作ってくれていると
思っています。




並ぶことを拒否したご同輩、自分の周りで何が起きているのか
は分かっているでしょう、でも何かが許せない、いつも何かに
怒っている、そう感じます。


そうなんだ、まだ彼は子供のままだったんだと、隠し続けて
いた自分の幼児性が、漏れ始めていたんだと、そう私は勝手に
解釈しました。


多分、戦後からずっと負けないで負けないでと、生きて来られたんだろうなあ
って、


そして、人間誰もが、気づくことが出来ない、自分の本当に気づけないで
生きて来たんだと。


そう思うと、大差ないなあって感じました、自分も同じような生き物だと。