水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

猛暑の墓参り

まさに猛暑、そんな中でしたが、墓参りに行って来ました。


兄貴のお墓です、平成24年に他界して
そのままご無沙汰でした、ですので8年ぶりです。


行く気になれなかった、それが本音なのですが
時を経て、兄貴は兄貴で大変だったのだろうと思う気持ち
が私の中で強くなって来た、そう感じます。


やさしいやさしい兄でした、小さい頃は
兄がサンタクロース(笑)でしたから、
私より10歳上の兄、私が5歳の時はもう15歳です。


父母がサンタを頼める年齢になって居ましたね。



父の創業した会社を兄は継ぎました、やさしいやさしい
兄はそのやさしさゆえに、沢山の問題も抱えました。


兄は逃げました、お金も多少有ったのも災いしたのでしょう、
ほとんど経営をしなくなって居ました。


でも、お金の計算だけはしっかりとして居ました。



兄のやさしさは、そのまま女性に移って行ったのです、
こういう場合、その女性が人格者であることは少ないです。


牛の乳を搾るように、その彼女は、絞り続けました。
絞り過ぎだよ!!って、後で知った時は遅かったのです。


いくらくらい使ったかのか、?億円は下らない、それにより小さな
会社は傾き、そして廃業しました。



その廃業寸前の頃、それでも兄から乳を搾ろうとしていた彼女と
私は対峙しました、もう兄は、逆さにしても小銭も出ませんよと
彼女は兄の年金も狙っていたのでした。


彼女は居なくなりました、これが「金の切れ目は縁の切れ目」
という、非常に分かりやすい光景でした。


会社廃業、その手続きが始まろうとした時兄は倒れました、
脳梗塞です、兄は戻らぬ人となったのです。



さんざんお金を使い、会社を廃業させた兄、そして倒れた。


何と幸せな人かと、人生の果実を食べつくした兄、でもそれが
真に幸せだったのかは分かりません。



でもなあ、兄は私のサンタクロースだったと、不思議なもので
廃業寸前の時に兄を罵倒した私の心は今は無くなり、この慈愛
の時の兄だけが、心に残っているのです。


墓参りに行くかと、葬式の後に義姉から知らせの有った墓所に
炎天下に出かけました、実に8年ぶりです。



あ!!、これ良いなあって思いました、その墓所、炎天下では
無かった、ビルの中にあるお墓で、全館冷房完備で、墓掃除も
要らないのです。


久しぶり!!と、兄と対面し、ゆっくりとあの頃を思い出して
いました、そうです、兄がサンタのあの頃です。


ありがとうと、伝えられたのでした、良かった~~。



このお墓は兄のやさしさだなと、ふとそんな風にも思えました。