見える者には見えないもの
それはかなり以前のことです、ある目の不自由な人たちが
美術作品に触るという番組を観たのです(記憶です)。
その人はある彫刻を触って居ました、そのなでる手が、
何かを語っているようです。
作品はイサムノグチ制作のもので、石の彫刻でした、つるつるの
石は二人の人間を形作って居ました。
手でその彫刻を触りながら彼は言いました。
何て温かいんだ!!と
温かい?、石の彫刻が何で温かいんだと私は単純な想いに
囚われていたのです、石は冷たいものという常識です。
まして時期は真冬でした、温かいなんて思えないと
でも彼はそう感じた、その手の感覚に伝わって来たのは
作者の温かい何かだったんだろうかと、その彫刻の
曲線を何度も何度も撫でながら彼は、涙を流すのでした。
見える者には見えないもの、見えないからこそ伝わって
来てしまうもの、作者がそれを意図したとは思えないが
作者の想いは彼に見事に伝わったと、思ったのです。
☆ネットからです、彫刻の森のイサムノグチ作品、ですが、この作品かは分かりません(これは石ではないですね、失礼!!)、でも、温かそうですね。
この作品は確か、彫刻の森美術館に展示されて居ます。
見える者達は、見えるが故に、感覚が眼だけに寄ってしまい
それ以上の世界を奏でることが出来ないのでしょう。
見えるものだけが全てなのですから、それは寂しいことです。
見える者には多分、本当の自分は遠ざかるのかも知れません、
自分の外の世界だけが全てと思ってしまう、見える人達、
自分の心の中を見ようとしてもそこは暗闇です。
見えなくなって見え始めるもの、私はその世界を
知りません。
私は重篤な病を得て、ほんの少し見え始めたものが有ります、
それは人の「やさしさ」です。
今まで見えなかったそのやさしさは、心の奥底にいる
本当の自分からのメッセージなのかも知れません。
ちょっと逢えたね、君にと、何処に隠れていたんだいと、
勝手に話をする私、それは健常な時には有り得なかった、
しぐさです。
まだ私は、イサムノグチの作品に触れては居ません、でも、
生きている内に触りたい!!、そう思いました。
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