水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

丸7年と半年ですね。


東山魁夷作、この屋根ばかりの景色、妙に感動した思い出があります。



*以下長文です、癌だの死ぬだの言葉が出ています、ご興味ない方は
 どうかスルーをお願い致します!!



表題は、主治医の言葉です、そうか丸7年かあと、分かっているのに
そう言われると妙な想いにも捉われました。


7年前に起きたこと


今年の秋に墓参りに行く予定の、佐賀の後輩のこと
7年前の3月21日に彼は突然拙宅を訪ねてきたのでした、
いや、ちょっと近くまで来たのでと


アホな私でも、それが尋常でないことは察しました、しかし彼と私は
近くの街中華でただ語り合いそして彼は帰ったのでした。


それから数年で彼は逝きました、肺癌が脳に転移したのでした。



その年、同じくもう一人の仲間が、悪性リンパ腫の診断を受けました、
彼は早かった、この病の深さを私は知りませんが、翌年に
黄泉の国行きの列車に乗ったのでした。


もう一人、並べてはいけないのですが義姉が脳梗塞で倒れました、
そして気が付かぬままそのまま逝ってしまいました。



7年前とは、私にとってそんな年でした、そういう意味では思い出
深いのです。


主治医が思い出を語るようにそう言ったのには理由が有ったのだと思います。


もう駄目ですねと私に伝えたのも主治医だったからです、駄目という
のは、施しようがないと言う意味でした。


ステージ4の癌、余命は二年でした。


手術とか放射線とか、癌を退治できる方法が使えないと、つまりそれくらい
癌で一杯だったのでした。


そして唯一出来る方法が延命療法、それがホルモン投与でした。



その結果か分かりませんが、背骨を骨折したり、大腿骨を骨折したりと
忙しかったです(笑)


でも、7年過ぎました・・・・、ステージ4でも10年生きた人も居ますよ
って、冗談めかしく言われたあの頃、本当にその10年に近づいています。



私を突然訪ねてきた彼、自分の病を告げることは無かったのです、
そして私も同じでした。


違う仲間も、義姉も、そうやって自分がこの世からさよならするとは、
夢にも思って居なかったことでしょう。



癌は、そういう意味では悪くない病かも知れません、だんだんと命を
縮めることは確かですが、この世への「さよなら」の用意は


十分出来るからです。
これは神様からのプレゼントかも知れません。



東山魁夷さん、この絵を完成された時、もうこれで良いと思われたとか、
この世に未練はないと思われたのかそれは分かりませんが
こんな大作を描けたことに感謝されたことには


違いないと感じました。



もう7年ですね・・・、先に逝った彼らに彼女に、いつも私は頭の中で
報告をしています、あの時のこと達を忘れることは有りませんと


間もなくそちらへの切符を、いやもう切符は買ってありますが(笑)


まだ私の乗る列車は、修理中なのかも知れません・・・、と


失礼しました!!