水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

万葉を記する子

娘が生まれたのは今から40年前、また私のお袋は元気でした。


お袋は、私の娘の誕生を、本当に喜んでくれて居ました。子供は選べないが、孫は選ばしてもらうよ!!って、半分冗談だと思ったのですが、どうやら私の娘への態度を見ていると、どうも冗談ではないなと感じました。


溺愛したのです、娘を。娘が三才くらいになった時、自由が丘へ買い物へ、そんなときは娘を連れて行きたがりました。


お袋、もうその頃にはかなり具合も悪かったのですが、でも、娘を見ると、何とも言えない笑顔のお袋でした。


その娘が産まれた時(産まれたのは紀州熊野のお医者さんで)、直ぐに飛んで行こうとしました。娘が未熟児(1600グラムくらい)だったということも有ったでしょう。


私は車にお袋を乗せて、一目散に熊野に向かいました、12時間の旅でした。



お袋は、娘の名前を考えて居ました。お前、なんて名前を考えているんだいと、妻と私に聞いて来ました。


私は、まきこが良いなと、妻と話していますよと、お袋に伝えました。




まきこかい、分かったよと、何処かに出かけて行ったのでした。



お袋は姓名判断の先生の所へ行ったのでした、そして私達に、こう言いました。


名前の漢字を考えてもらってきたから、これにしなさいと、その文字を見せたのです。それには・・・・・、


そこには、補助のような感じで「万葉を記する子」と、書かれて居ました。


まきこ、つまり「万記子」と


このことを、昨日「令和」のニュースを見ながら、鮮明に思い出したのです。


万葉集からか~、令和って、そういえば娘の名前も「万葉集」からだったよな、万葉集の中身では無かったが、妙にこの字がしっくりと来たんだよな、と。


なんて、大したことでは有りませんが、名前一つだけ取っても、それなりの物語がある、それは私にとって、お袋との物語でした。


お袋、ありがとう、万記子と同じ理由ではないですが、新しい元号は「令和」ですよ、万葉集からですよと、仏壇に報告した昨日でした。