水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

東京の人は草を食うのか

紀州熊野の近郊、それが妻となる人の故郷でした。


田舎だなあ、何と田舎なんだと、田舎者の親父が一言


婚約で親父とお袋を乗せて、車でやっとこさ着いた時の
親父の一言は、今でも語り草です。


キロ数は550キロくらいで、大阪に行くくらいの
距離数ですが、名古屋から先が凄かった・・・・、


凄かったというのは山道という意味ですが、特に
松坂から熊野まで、約120キロくらいですが、その間
に峠のトンネルが18個も有りました。


所要時間(途中の休みも入れてですが)約16時間の車旅
辿り着いた景色は、東京では絶対に見られない大自然その
ものだったのです。


太平洋の荒海、鬼が城という奇岩、そして獅子岩、そんな
奇岩群を越えると今度は山山山、その山が全部みかん畑でした。


★ネットからです、獅子岩と言います、奇岩です。



海と山が近接している地形、その先に熊野三山と言われる
景色が続いているのでした。


親父が60代、お袋はまだ50代で若かった、だから16時間
の車旅も耐えられたのかも知れません。


妻を迎えに行く度、何とロマンチックだと、今ならそう思います。
そして両親もよく来てくれたって、この45年前の旅は脳裏から
消え去ることは有りません。



妻の実家の周りは、山菜の宝庫でした。私とお袋は夢中になって
それらの山菜採りに夢中になったのです。


時期も良かった、わらび、ぜんまい、明日葉、そして田んぼの脇には
セリ、クレソンまで自然発生して居ました。


夕方暗くなって来た時、その田んぼの小川に驚きの光景が現れました。


ホタルでした、ポ ポ ポって、ホタルが飛ぶのです、


お袋が「なんという景色」と、驚きを隠しませんでした。



山菜をたんまり収穫して、義母に届けました。


満面の笑みでそれを受け取った義母が一言


東京の人は草を食うのか!!って、決して皮肉では
なく、本当にそう思ったのでしょう。


多分田んぼの畔に生えているセリなんかは、観もくれないのかと



私の婚約の為に来てくれた両親、でも、それよりもこの大自然に
ことのほか感動していたなって、後年妻に話すと・・・、


私はネオンの方が良いわって、


これで世の中上手く行くんですね(笑)