水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

良医との出逢い、とは?

母のことを語ります、母は肝臓がんによる多発性臓器不全で帰らぬ人と
なったのですが、


何が大変って、検査の連続で、そのことに母は呻くような
声音を吐いて居ました。


検査の度に失われていく体力、だんだんと殺されていくと
私は感じて居ました。


肝生検、これはきつかった!!、太ももから管を入れて
肝臓の成分を取るのですが、術後24時間絶対安静なんです。


人は動けないということがどれくらい大変なことなのかと、
私も手術を体験し、ほんの少し理解をしました。


もう命の期限も切れかけているのに病院は、まだまだ
検査検査でした、そんな折兄が情報を仕入れて来て、


転院させようと、ここに居ては「人として」生きる時間は
少ないと


天下の大病院を去りました、医者同士の合議で治療を
行い、患者を生かさず殺さずの大病院から、
院長の一言で治療が進む小さな病院に移った
のです。



検査に遣られましたね、これが最初の一言でした。
お母様は、検査で殺されかけましたね、もう半年早く
ここに来て居ればって、院長は悲しそうなお顔を
されました。


触ればわかります、何処が悪く、肝臓がどうなって
いるのかは、検査なんて必要ないですと肝臓の権威
は言い放ちました。


でももう間に合わない、お母様を傷み、苦しみから
解放させませんか?と、ある提案をされたのです。


それはフォアグラのようにパンパンに張った肝臓を
摘出する提案でした、この大きく張った肝臓が苦しみの
源泉だからです。


でも、楽になると同時に、命は縮みます、肝臓が
無くなるのですから、と。


私達は少しでも母が楽になる方法を選びました、
そして束の間でしたが、全く笑顔を見せなかった
母が、笑ったのでした。


それから一か月内で、母は長旅の人となりました、
12月25日の朝、まるでキリストと出逢うかも
知れないような朝に逝ったのでした。


苦しく無かったかいお袋?、苦しめ続けてごめんね
と、もう息をしない母に私は呼び描け続けました。



昨日の女医さんを観ながら私は、こんな母の最期を
思い出して居ました。


そして・・・・、私のこと


検査検査、画像画像、もっともっと詳しい画像をと
もっともっと強いホルモン剤をと、これが今の私への
治療です(これは私の素の病、癌の治療です)。


これももう止めたい!!


検査なんか要らない!!、触ればわかるからと、
昨日の女医さんにも、言葉の外で言われたような
気がしました。



良医との出会い、これが一番大事なのに、大変難しい
ことです。


でもなあこれってお医者だけじゃないよなって、それは
言い変えれば素敵な人間関係だと、友人・職場の仲間・
取引先と、全部に言えるよな。


そうか所詮は、俺かって、俺自身なんだって、
今更もう無理だけど、人は、人間性ってやつが本当に
大事なんだと。


良医との出逢い、それは己が、何を大事に生きて来たか
を問われること、今からでも遅くはないのだろう。