水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

死の3つのロス だからこそ欲しいのはユーモア

また、死ぬの生きるのと書いて居ます、ご興味ない方は
スルー下さい。



以下は、故アルフォンス・デーケン先生(上智大)
の教えてくれたことです。


☆写真はネットからです。デーケン先生その人です。



私が直接教育を受けたものでは有りません、デーケン先生
の薫陶を受けた者(先輩)から、常々教わって来たことです。


私もこの二年で3度の入院を経験し、そして重篤な病も得て
以下のことが実に身近に感じ、おぼろげな不安が何処から
来るのだろうと、未解決でした。


しかしデーケン先生は、そのことを見事に教えてくれて
居ます。


それが死の4つの側面です。


確かに私達は、死を恐れる(肉体の死)のですが、それだけではない、
死に行く過程で通らざるを得ない「3つのロス」をむしろ恐れ
るんだと、分かっのだと。


この環境整備が、この日本では全く貧乏で、ここにも日本人
の死に対する学びの浅さが露呈していると感じます。


以下、デーケン先生の言葉です。


「死」という言葉を聞くと、
みなさんは肉体の死だけを連想するかもしれませんが、
わたしは「死」を4つの側面に分けて考えています。


それは、心理的な死、社会的な死、文化的な死、そして、肉体的な死です。


心理的な死とは、生きる喜びを失ってしまうことです。


社会的な死とは、社会との接点が失われ、
病室の外とのコミュニケーションが
途絶えてしまった状態のことを言います。


だれも見舞いに来ないような場合がこれに当てはまります。


文化的な死は、生活環境に人間らしい
文化的な潤いが失われてしまった状態のことです。


例えば、無味乾燥な病室など文化的な楽しみの無い環境で過ごすことにより、


患者さんは肉体的な死の前に、文化的な死を迎えることになります。



 20世紀の日本では、医学・看護学のめざましい進歩により
「肉体的な死」の延命が大幅に図られました。


その証拠に、日本人の平均寿命は世界一です。
ドイツの男性よりも、日本の男性のほうが長く生きられる。
だからわたしは日本に来ました。賢い選択ですね(笑)。



私は短い入院生活でしたが、それでも、上記のことを強く感じました。


無味乾燥しかない病室でもし、肉体だけの延命が
図られたらどうだろうと、堪らないだろうと。


ここでお袋のあの言葉を思い出した、夜が長いんだよお前、と。


これは、早く逝かせておくれよとの哀願だったのだろう。


以下、デーケン先生の続きです。
現在、世界中のホスピスでは、患者さんの生活の質を高めるために、
音楽療法、芸術療法、読書療法、動物介在療法、アロマセラピー、
リフレクソロジーなど、じつにさまざまな試みがなされています。


その努力により、患者さんがよりよい最期を
迎えることができるようになってきました。


実際に海外のホスピスを訪れると、多くの日本人は驚かれることでしょう。
看護にあたる人々がユーモアにあふれ、患者さんと交わす会話も温かい
笑いに満ちているからです。


不思議に思われるかもしれませんが、
「死」と「ユーモア」は、とても深い関係があります。


自分が「死」に直面した時に過剰な恐怖や不安を和らげるだけでなく、
緊張をほぐして、怒りの感情を鎮め、苦悩のさなかにあっても、
自分を客観視して笑い飛ばせます。


また、親しい人との別れの後、悲嘆のプロセスにおいても、
笑いを再発見することは立ち直りへの道の大きな一歩です。


ユーモアの源は、相手に対する思いやりです。
そして「いまここで出会っている時間をお互いに楽しもう」
と努めることで、自然に喜びの感情がわき、気持ちの通じ
合った関係が生まれます。



私は、外国のホスピスを知りません、物凄く知りたいと思いました。


あの無味乾燥な病室で、最期を迎えるって、とんでもないな
と思う、でも、それは今はまだ避けられないことですね。


ホスピスのユーモアって、憧れます。


だって、人生で誰にも100%訪れるのが「死」ですね、
それはやはり新しい世界への旅立ちとするなら、いってらっしゃい!!
と言われたいし、言いたいですよね。


また逢いましょうって。