水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

子供がぶつかりたいのは「生きた人間」

故 心理学者河合隼雄氏に、以下の言葉が有ります。



「理解ある親」をもつ子は たまらない



子供は、問題を起こした後、「自分でもよく分からない」ということがあります。
言葉通り、「なぜか分からないけど、○○をしてしまった」みたいな。


子どもはその成長において、急カーブを描くことがあると、河合隼雄氏は言う。


その時には得体の知れないエネルギーが湧きあがり、
それを何かにぶつけることで、自らの存在を確かめ
るようなところがあると。


そのぶつかる第一の壁というのが、親ということになります。


親という壁にぶつかり、いろんな経験をしていく。
時には限界を感じたり、腹を立てたり、そうしながら成長すると。



☆「理解ある親」は時に、「誤解する親」になってしまうことがある


子どもの気持ちとしては「よく分からない」なのに、
親の方は「○○するおまえの気持ちもよく分かる」
などと言ってしまう。


そして、肝心の壁になることを、回避してしまいます。


そうすると、子どもの方は、ぶつかる先をなくしてしまう。
どこまで行っていいか、分からなくなってしまう。


こういうのが暴走につながり、時には、法や社会的規範まで破ってしまうと。



さらに河合先生が言うには、
子どもがぶつかりたいのは「生きた人間」だといいます。



子どもは親にぶつかって、成長する。


なので、ぶつかる先がないと、成長のしようがないと。


そして胸を貸すからには、親にそれなりの強さが求められるといいます。


自分の人生をしっかりと歩んでなければならないと。



ある意味、訳の分からないことをしてしまうというのは、
理解あるふりをしたり、理解していると勘違いしている親に、


「訳が分からない」と言わせ、それに気づかせるためかもしれない。


あるいは、壁になることを回避している親を、
追いかけ回しているのかもしれません。


といっても意識してそうするわけでなく、無意識に、
そういう布置が作られるということ。
だから、訳が分からない。



河合隼雄氏は言う。


真に理解するなどという不可能に近いことをするよりは、
まず自分がしっかり生きることを考える方が得策だと思えると。




というわけで、「理解ある親を持つ子は、たまらない」ではなくて、


「理解していると誤解している親を持つ子は、たまらなくなる」
のようです。


子どもだってその辺のことは理解してないんでしょうけども、
それでも薄々とは分かるし、無意識はそういうことを
訴えてくる。


「そんなんおかしい」「このままでは、あかん」「ちゃんとせえ」


関西弁でいえば、こういうことを訴えかけてくる。


といっても、表面的にや社会的には、親はおかしくなく、
むしろこのままでよく、ちゃんとしてたりする。


でもそれは全部ではなく、どこかは実はおかしくて、
どこかで変わらなくてはならず、どこかでは手を
抜いていたりすると。


無意識の働きというのは、それを知らせるものなのです。



事件になると、親や先生、大人たちは慌ててしまいます。


けれど、このような点についても考えれば、
「あっ!」というようなことも見えてくるかもしれません。


今はまだ奥にあるので見えないし、
訳が分からないといった風になるのですが。


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以上は、河合隼雄氏の言葉と、それを受け取った記者の感想です。


これを読みながら私は、昔昔を思い出して居ました。


私の、子供から逃げた歴史をです、どう逃げたのか、それは上記に
語られている通りです。


そうです、私は、理解ある親を演じていたのでした。


子供が私にぶつかって来る、時には、相手に怪我をさせたり、
子供自身が血だらけになって帰って来たり、


そういう時私はろくに話も聞かずに、お前は悪くない悪くないなどと
頭を撫でていたのです。


心の中では、何でお前は問題ばかり起こすんだ!!と怒っているのに、
それは出さずに、澄ました顔をする、偽善者です。


親が偽善者だったら、子供はその気持ちを何処に持って行ったら
良いのか分からなく成りますね。



この子も今は40歳を迎えました、私は今更彼と交流をしています。


会社の大変さ、俺は駄目だなと漏らしたり、それを黙って聞く
息子は、何故か穏やかなのです。


私は心の中で心底思うのです、お前、よく人生の道を外さなかったな
と、俺のような親を持った者達の多くは、お天道様の下を
歩いては居ないから・・・、


「理解していると誤解している親を持つ子は、たまらなくなる」


何故ならそこには「生きた人間」が居ないからです、
子供がぶつかれるのは生きた人間なのだと、


ごめんよと心で謝りながら、アトピーで湿疹だらけの息子の
背中にそっと薬を塗っている、私です。