水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

愛って何ですか?

感情ですか、理性ですか、それとも・・・


エーリッヒフロムに、愛するということ、という有名な本が有ります。


彼は言います、何であなた方は、最も大切な愛について学ばないのかと
フロムは愛を理性と捉えているのですね。



私は今から50年位前に、初めて就職をしました。
どうしようもない人生を送っていた私、何もかも
ちゅうぶらりんでした。


その就職先は、食堂の厨房という現場でした、そこを
希望した訳ではありません、そこしか無かったのでした。


めちゃくちゃな職場でした、三日目には出て行こうと
荷物もまとめたのです。


しかしある出会いが、私をそこに留め置いたのでした。


その人の後ろ姿に導かれたというとカッコ良すぎますが、
まさにそうだったと今でも鮮明です。



あまり言葉で教える人では有りませんでした、それはいつも
働いている姿でした、その姿に私は真実をみた、そう記憶
しています。


そしてこう思えたのでした、人生も悪くないと、生きるに
値する(生意気ですが)と。


そしてもう一つ、初めて信頼できる大人に出会えたと
思えたことです。


どうせさあ、誰だって一皮むけば同じだよって、自分も
含めて誰かを信頼することなんてあり得ませんでした。


投げやりと惰性、いつ死んでも良いと思っていた私、
その私が横たわっている奈落の底へ垂らされた
それはまるで、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でした。


この体験は、また後で、何が起きたのかはお話したいと思います。



さて、愛のことです。


あの後ろ姿は「愛」だったと、思うのです。


人の心に巣くう気持ち、嫉妬、憐憫、恨み、怒り、それらは
みな感情という分かりやすいものと思います。


恋も感情、これに入るでしょう。


でも「愛」は違う、やはりフロムの言うように理性なんでしょう、
後ろ姿が理性?、でも今はそう思えるのです。


かなり以前のブログにもこの具体的な出来事は書きました、
でももう以前のことで、もう一度書いてみたいと
今また思って居ます。


愛って何だろうと、それは渾身の後ろ姿だったと