水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

幸福な王子 から

以下は、あるブログからです、上智大学のハビエルガラルダ氏の言葉が
引用されて居ます。


☆幸せな王子の物語のあらすじ、です。ご興味ある方はどうぞ

☆画像はネットからお借りしました。



クリスマスが近づき町に粉雪が舞う頃になると決まって、
母が読んでくれた童話を思い出します。


それは、オスカー・ワイルドの『幸福な王子』という童話なのですが、
あのツバメは可哀相と子供心にもツバメに感情移入して、哀しい気持
ちになったものです。


ところが自分が孫に昔話をするような年齢になって、
大学の講義の中でまたこの物語に出会ったのです。


そこで、ハビエル・ガラルダ師(イエズス会)に
『幸福な王子』の物語を通して、自分を犠牲にする人間は
はたして幸せといえるだろうか?


つまり幸せとは一体何であろうか?と問い掛けられたのでした。


あのツバメは幸せだったと言えるのだろうか。
温かいエジプトに行こうと思って、王子様の貴重な像の足下で
一休みしていたところ「ツバメさん、ツバメさん」と王子様に
呼ばれ、


窓から見えるお母さんが大変な病気の娘のために、
薬と食べ物を買うお金がないので、自分の刀の
ルビーを取って飛んで持って行ってくれるように
頼まれる。


しかし、エジプトはツバメの幸せであった。
仲間は向こうで待ってくれているし、
イギリスの秋は寒いのでツバメは断ります。


でも「ツバメさん・・・」と言われて「それでは今夜だけね」。
あくる日また肺結核に罹っている貧しい大学院生に、
目のダイヤモンドを持って行ってあげるように言われる。


その翌日もまた雨の中でマッチを売っている可哀相な女の子に、
もう一個のダイヤモンドを持って行ってあげるように頼まれて、・・・。



ところで、このツバメは私たちのことだと思うと、ガラルダ師は言うのです。


奥深い自分はその王子様に当たる。


私たちは仲間、健康、出世、まともな理想、
つまり自分の幸せだと思われるエジプトを
犠牲にするように頼まれることもある。


身体を壊した親とか、不幸に遭った友人とかいうような出来事は
私たちのエジプトを妨げる、奥深い自分からの呼び掛けに
なりうるのです。


でも、この童話のツバメはその後、
町中を飛んで困っている子供達の上に、
王子様のマントからの金を一枚ずつ落としながら、
だんだん寒さに弱ってゆく。


最後の一枚を配ってから戻って来て、
子供達がみな大変喜んでくれたことを報告しました。


「今度こそエジプトに行ってらっしゃい。本当に有難う」


「いや、もう帰ってこられない旅にでかける」と言って、
王子様にキスをしてその足下でツバメは静かに死んだのです。


そのツバメは奥深い自分に忠実であったため、
幸せだと思ったエジプトを犠牲にした、
いったい彼女は幸せだったのでしょうか



ツバメが幸せだったかどうかは、分かりません、それはツバメ
だけが知っているのですね。


幸せとは、隠れた川底を絶えず流れているような生き方そのもののようです。




この幸せの王子の物語、小学校の頃に覚えたこの物語を今更思い出して
いる私です。


このブログでは、幸せとは「生き方そのもの」と書いています、その前に
それは、隠れた川底を絶えず流れているようなと、前置きして居ます。


それが「ツバメ」なのでしょう、ツバメはその隠れた川に寄り添った
、エジプトを諦めて寄り添ったのです。


私の奥底にも、そんな川が流れているのだろうかと、
ふと思わせられる物語、


また思い出させられた2021年でした。