気づきの階段を上がりたい
昔昔、聞いた話です。
ある老人を支えながら階段を上がっている青年の写真を見せながら
ある先輩がこう質問しました。
皆さん、この写真をみてどう思われますか?と
次々と、感想の意見が出された、そのどの意見も、
支えている青年の清々しさとか、心遣いのようなことを
誉めた意見でした。
そうすると先輩がこう教えたのです。
皆さんも、この支えられる立場になれば分かるのかと
思いますが、でも、今の内に気付くことが大事ですと。
何だろうなあって、気づきの少ない私は???で
一杯でした。
先輩は言いました、このご老人がどのような態度で
いるかそれを考えなさいと。
支えられているご老人は、支えられやすいように振舞って
いると、気づいて下さい、と。
あ!っと私は思ったのでした、そうかそうなんだと、
これが気づきの階段かと
人が人に気遣うって、間違えると的外れになることも多いです。
相手の立場、心模様はなかなか見えないからです、それでも
尚、相手の立場になろうと思い続けること
これがやはり大事なのでしょう。
気づきの階段は、誰の目の前にも存在していると思います、
目の前に現れる課題問題は、その階段の在り処を教えて
くれている、そう強く感じます。
それを一段一段丁寧に上がりたい、この歳になってやっと
そう思うのです。
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