人間理解という修羅場
このテーマの前に、いったい人間という意味はと、改めて思いました。
ウイキベキアを引くと、
"人と人との間"、"人が生きて住んでいる(漠然とした)場所"という意味です。
仏教用語の人間界(にんげんかい)が詰まった物だと考えられます。
人間は人を指すのではなく、人々が住んでいる「場所」だと有ります。
つまり、それは世間で有ったり世界で有ったり、仏教では「人間界」
と教えていると
心理学者アドラー先生が、私達人間の悩みは、人間関係に尽きると言われたように
人と人との関係が無ければ、悩みは無いのですね。
最も、それが嫌で、たった一人で孤島に住めば、また違う悩みに
襲われそうです、それは・・・・、
人に逢いたいという悩み、でしょう。どんな苦しい関係が有っても
良い、とにかく人に逢いたいと思う、そういうものだと感じます。
私達はどこまで我儘なのでしょう、悩み悩んだ根源に帰りたいって
願ったとしたら、
ある精神を悩み入院した人が、医者に言いました。
先生!!、早くこの病を治したいのですが?と
治してどうしたいのですか?
治して、またみんなと働きたいのです。
そうやってまた、ここに戻ってくるのですか?と
こんな、ヤマアラシのジレンマ(棘が生えているヤマアラシは、
寒い時、くっつくと痛いし、離れると寒いを比喩した言葉)の
ようなことを、私達は望んでいる
のど元過ぎれば熱さを忘れるごとく、いつも我儘を繰り返して
いるのかも知れません。
人間理解は修羅場、そう言ったのは心理学者故河合隼雄氏です。
人間関係は修羅場とは言って居ません、理解が修羅場を呈する
と
理解しようなんて、そんな大それたことを思わない方が良いと
それは親子でも、友人関係でも、ちょっとした知り合いでも
同じだと
何も思わずに(要求心ゼロで)そっと寄り添うことが大事なんだ
と
お互い怪我をしない為の、それがコツですよって(笑)
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