水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

散歩のついでに富士山に登った人は居ない

このテーマ、確か二度目と思います。昔昔、ある勉強会で
先輩がジョークを交えて話してくれたことです。


これって、当り前じゃないかと思いますよね、何を言ってるんだ
君は!!と


富士山に登るのにサンダルでは行かないし、行けない。


☆昨年お正月に描いた富士山です。



では、私達は本当に、こんな間違いをして居ないかと
問われたらどうでしょう。


例えば、愛はどうでしょう、愛について深く学んで居ないのに
愛の山を登ろうとして居ないでしょうか?


自分はダメだと、人を愛することは出来ないと嘆いたりする
人がいるとしたら


あなたの言う愛とは何ですか?と問われたとき、ちゃんと
答えられるのでしょうか。



男女が恋をして結ばれる、その恋の結晶が産まれる
さあ、その子をどうやって育てるのでしょう。


多分、必死に学び、教えを請い、それこそ無我夢中で
子育てをするのだと思います。


これらはみな、散歩のついでに富士山に登るごとき、かも知れません。



経験上理解し、分かることには、それはそうだよって、無理に決まって
居るわい!と、相槌も打ったり笑ったりするでしょう。


散歩のついでに富士山?って、そんな人いるわけ無いでしょうって
思いますね。


でも私たちは、そんな人居るわけないってことを平気でやってきた
そして性懲りもなく、今もそれを繰り返そうとしている、ではないのか
と。



まさにそれはあの十字架で張り付けされている時のキリストの言葉、


父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。


これと同じなのだと、私達はこの大変な人生の途中で簡単に、富士山に登ろうと
しているのかも、登れる訳もないのに


身の丈に合った人生って、詰まらないのかも知れませんが