水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

掃除 3

掃除というテーマで書きはじめていますが、
なかなか掃除が出て来ないです。


シュチュエーション、つまり、どんな環境でどんな人達が
掃除というテーマに取り組むのか、その絵が見えないと
その意義も見えないと思いながら書いて居ます。


しかしこれはあくまでも、私が私に書いているものです。


あの50年前の体験はいったい何だったのか、自分に
とってそれがどう影響したのか、それが50年過ぎて
今、どう受け止めていてどう生かされているのか
等々


これは古い本棚の整理のようなことかと、それは心の本棚
何もかもグチャグチャに詰め込まれている自分の心を
そっと整理したいと


そんな精神的行為なのだと




同室の炊飯の長が怪我をして寝込んでしまったことで私は、
辞めようと荷物をまとめたものの、一方で、仕事に穴を
空ける勇気も無かったのです。


食缶、一度に5升の米が入る飯炊きの食缶、これを24缶
毎朝炊くのです。一つ何キロ有ったのかよく覚えて居ません
が、とにかく重労働でした。


日陰のもやしのような私、ろくな運動もしたことがない私、
マージャンで鍛えた指先は何の助けにもなりませんでした。


そうやって辞めようと決心した私がだんだんと仕事にのめり込んで
いったのでした。


学生の頃の私の日々は、夜中がその中心でした、朝方寝て昼過ぎに
起きると言う怠惰そのものの生活、それが有る日を境に、
逆転をしたのです。


働くとはそういうことと、何度も何度も言い聞かせました。


朝5時からの仕事は、私そのものを変化させるのに十分だったのです。


しかし職場は相変わらずで、怒鳴りあい、協調性の無さは
抜群でした。



ある冬の朝、私は飛び起きていつものように、真っ暗な道を
職場に向かって歩きはじめました。


すると突然、物陰から襲われたのでした、真っ黒な物体が
私を襲い、強烈なヘッドロックを見舞われました。どんどん
締めつけて来ます、あ~苦しいと思った途端、


何か大きな声が聞こえて、そのロックは解かれました。


中村さんが(すでに故人)が助けてくれたのでした。


ぜいぜいと息が上がっている私を抱えて、職場まで連れて
行ってくれた中村さん、恩人の一人となったのでした。



私の首をロックして来たのは、入社当時から妙に私を慕って
きた青年でした。


何か危ないなあと思いつつ、適当に向かい合っていた私に
彼は、業を煮やしたのだと思います。


危ない、人との付き合いでそう感じること有りますね、何か
行ってしまっているなと感じる人、彼はまさにそんな男
でした。



後で知ったのですが、彼は大変優秀な男で、その優秀さが
自分を追い込み、精神病院へ入院していたのです。


もっと先に教えてくれよ!!という話です、でもそんな情報
は無かったのです。でもその職場を客観視すれば分かること、
私を含めて、一人も普通の人は居なかったと


誰も一癖二癖のツワモノなのでした。


北村さん、もう50年前なので名前を公開します、私の首を
締めたその人です。北村さん、私を追いかけ、何でも私の
言うことを聞くのでした。


ある日、頭を刈って来いよと何故か私は北村さんに言いました。
何でそんなことを言ったのかよく覚えて居ないのですが
その翌日のこと、北村さんが私の前に現れて


頭を刈って来ました!!って、私は驚いたのですが同時に
本当かよって、思いつつも、無視をしたのでした。


危ない!!って思ったのです、何だか危ないよなと、
このヘッドロックはその翌日の出来事だったのです。


彼はまた病院に戻って行きました。私の勝手な対応がそうさせた?
それはともかくそれが学園の配慮でした。



ブロックに正拳を当てる青年、突然怪我だらけの先輩、喧嘩ばかりの
職場、抜け出そうにも抜け出せなくなった私、そしてヘッドロック
と、


今では労基法上も全く考えられない職場に入った私が、その後も
似たような体験を繰り返して、だんだんと腐ったイモに
慣れて行ったのす。


俺も同じだと、彼らを蔑んでいた俺、その俺こそ最低ではないかと
思い至る頃には、私の心は十分回復不可能な塊となっていたのでした。


そこに現れたのが、新しく赴任してきた上司でした、
私の人生を根本から揺るがす上司、それは働き始めてから
半年程過ぎた頃だったのです。


続く・・・・