水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

掃除 4

新しい上司を迎えた食堂課(そう呼ばれていました)、
そこに赴任してきた課長は、もと相撲部出身でした。


ガタイが良い、少々の正拳では太刀打ちできません、
まあ、そんな目的で就任された訳では無かったの
ですが、確かに強くなければ務まらない職場
だったかも知れません。


課長、強そうだよねって、初日に怪我をした炊飯長の
先輩も、手を出そうとはしなかったでのです。


私達の平均年齢が21歳くらいで、その時課長は40歳
前後だったと思います。


出身は大阪の押し寿司屋さんで、代々続いている老舗と
聞きました、料理はお手の物でした。


☆現在の食堂です、綺麗です、あれから50年、リニューアルして居ますね、でも基本は変わっていません、このホールの形状は昔のままです、ここに黒いPタイルが貼ってあったのです。



しかしその課長が最も注目したのは、私達のヤンチャぶり
ではなく、食事そのものへの思い入れでした、こんな食事
ではアカンと、そしてもし美味しい料理を出せたとしても、
こんなホールでは何ともならないと


そうです、800席もある食堂ホールの管理が全く出来て
居なかったのでした。私達は(前の課長は)学園側に、
掃除する人を雇ってほしいと何度も陳情していたのです。


ホールには黒のPタイルが敷いてありました、そしてそれが
かろうじて分かるのが隅の方でした、隅を見ると、そこが
黒くなっているのが分かりました。


他の場所は、泥汚れが渇き、真っ白になっていたのでした。


私は、このホールの管理掃除が、食堂課員に課せられている
とは知りませんでした。私が入ってから誰も掃除なんか
して居ないし、口も出さなかったからです。


これはダメだわ!!と誰でもそこまでは思うのですが、では
実際にそこを掃除するとなると、想像も出来ない程大変な
ことであることは誰でも分かりました。


だからみな、口をつぐんだのでした。絶対に言い出しっぺには
成らないと・・・・、



ある朝、私がいつものように五時に出勤した時、そのホールに
灯りがついていたのです、どうしたのかなと、消し忘れ
かと私はホールに向かいました。


そうしたらそこに、ガタイの良い後姿が見えたのです。


真っ白なPタイルに向かって手に持ったほうきと塵取りで
掃除をしていたのです。


ガーン!!、なんだこの人はと、きれいになるはずもない
ホール、もし少し綺麗になったとしてもまた、泥をつけた
運動靴が汚してしまうことは分かって居ました。


毎朝、高校生達が、わっしょいわっしょいと朝礼のあと走り
ながら、食堂に朝食に入って来るのです、外は土、運動場も
土、その量は半端では在りません。


でも、こうやって課長の掃除は始まったのでした、課員の
白い目などなんくるないさ、でした、毎朝4時にそれは
スタートし、延々と続いたのです。


続く・・・・・