水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

苦しみの向こうに

大層なテーマですが、深刻なことでは有りません。また
どうでも良いことを書いています、どうかご興味の
無い方はスルーをお願いします。


水彩画のことです。


ここまで、自己流ですがかなりの枚数を描いて来ました、
何が楽しいのかと、人に聞かれるまでもなく、
自分が自分に問うています、お前は何が
楽しいんだって?



対象がある、これを描きたいと思う、先ずその気持ちが
起きないと駄目なのです。


その対象は多岐に渡るのですが、それは今回の主題では
ないので、省きます。ただ、描きはじめると妙に
同じような対象を追うことは有ります。


この頃ずっと花や木を描いてるよねって(笑)



例えば目の前に、花瓶の花があるとします、良い色だなあ
って思い、でも、花瓶がガラスだし、上手く行くかなあ
って思いながら、ガラスに映った花の茎が
画用紙に現される画面を頭に描きます。


それが想像出来ない時は多分、描き出さないでしょう。


一番難しいなあと思うこと、その部分が頭の中で
描けているか、そんなことを思います。


そして描き出す、でも、思い描けることと、実際に描けることには、
男女の仲のような深い河が流れているのです。


大袈裟ですが、そうは問屋はおろさないのです。


☆この絵は、雨上がりの水たまりに映る木々を描きたいと思い、描き始めました、のた打ち回りました、どう描いても、木々が映らないのです、何枚目か忘れましたが、やっと少し映ったなあって



ここで始まるのです、苦しみが、画用紙の上でのた打ち回る
のです。


特に水彩画は一発勝負、一度色を置くともう切り替えが
きかない(全くではないですが)のです。


何だかなあと思います、そんなに苦しいのなら止めればって
心の声が叫びます。


あ!!、映った、ガラスの向こうに茎が映えていると
思える瞬間が来ることが有ります。


苦しみからの解放です)^o^(


そして絵から離れて全体を見回すのですが、ああ駄目だ!!って
なります(だいたいそうなります)、調子が飛んでいるのが
分かるのです、花瓶の茎ばかり見ていると他がおろそかに
なる、そんな繰り返しが始まります。



何を言っているのやらですね、そんなに苦しいのなら止めれば?
って思いますよね。


そんな時思います、何でも同じだなあって、人生も同じ、
この苦しみの向こうに果実があると、この苦しみが一層その
果実を美味しいものにするに違いないと


ああ、、やっと出来た、でもへたくそ!!、いやこんなものだろう
って、筆を置く、また描こうかなって思える瞬間がここに
あります。