群盲像を語る それもまた真実
これも、昔昔、聞いた話で、結構有名ですね。
私の人間性の偏りを、この話で教えようとして
くれたのかと、今は思います。
目の不自由な人達が、像を触りながら、像とは
どんなものかと語りあったと
尻尾を触った人は、像とは紐のようなものだと
鼻を触った人は、それは太いホースのようなものだと
足を触った人は、それは太い切株のようなものだと
☆桜、もうすぐ咲きますか?、でも今年も花見は難しいですね(ー_ー)!!
私達は、見たことのないものをイメージすることは出来ません、
海を見たことが無い人に、どうやって説明するのか
それは無体なことです。
私達は、心の在り処を見たことがあるでしょうか、少なくとも
私は知りません。
そしてそれは、自分にも向けられることです、悲しんだり
苦しんだり喜んだり、ぐっと込み上げるあの感情がいったい
何処から来るのか、知りません。
時折脳科学者がそれはねと、説明をしてくれます、こんな
ホルモンが出ているんだよって、だから嬉しくなるんだって
う~ん、分かりません
自分の中で何が起きているのかも知らない私達が、何故か
分かりませんが、惚れて惚れて、夫婦になるって
こんな乱暴なことがあるでしょうか・・・・、
像とは紐のようなものだと確信した人と、像とは太いホース
のようなものだと確信した人を
どう整合させていくのか
今は思います、整合させる作業そのものが無駄なことを
そのままで良いことを
像とは紐のようなものだと、そうだよって、それで
良いのだと思うこの頃です。
それもまた真実なんだって、それが安心なんだって
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。