命とは時間
“いのち”とは何か
ありし日のあの聖路加病院院長の日野原先生の言葉です。
ある日の授業で、日野原医師が私たち受講者に問い掛けた。
「いのちって何ですか? 何と説明しますか?」
日野原医師は、同じ問いを10歳くらいの子どもに向けた時のことを話してくれた。
子どもたちは胸に手を当てて、「心臓のこと?」と答えたそうだ。
「それは違います。心臓は“いのち”ではなく、単なる血液を送るポンプにすぎません」と、日野原医師は続けた。
では“いのち”とは何か
「それは、私たち一人一人が持っている“時間”のことです。人はそれぞれ限られた“いのち(時間)”を持つ生き物です。“いのち”は確かに存在するけれど、目で見ることはできません。大切なものは大抵目に見えません。“いのち”は目では見えないものなのです」
――この言葉は、私の心にとても響きました。
“いのち”は時間。私の“いのち”とは、私に与えられた時間。
こうやってキイを叩いていても時間は過ぎて行く、私は命を
縮めながらブログを書いている、なんて(笑)
ではこの時間を、残された時間をどう使って行くのかって、
あまり考えない方が良いかな、これって脅迫になるものね。
明日も明後日も、誰かの為になる仕事が出来ればそれで良いのかと
そう思う日々です。
絵はどうなのかって、どうなんでしょうね。
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