水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

お金持ちの条件 君達君の思い出

こんな特集をFM横浜でやっていた。


お金持ちは・・・・、


①アイスカップの蓋を舐めない
②レトルトカレーを絞り出さない
③高級スーパーで値段を見ないで買い物をする
④パンにはマーガリンではなくバター


まだまだ有りましたが、取り敢えずこれくらいで



以前にブログに書きましたが、私が通った小学校は、
このお金持ちとそうでない生徒達の混合学校
でした。


60年以上も前に、車で横づけされて通って来る
お嬢様おぼっちゃま達、きちっとした身なりは
当たり前で、言葉遣いも


君達~、でしたね(郷ひろみではないです)


その登校姿をぼーっと鼻を垂らし、それを拭く袖は
ピカピカの、そうでない生徒達、全くその光景は
異次元でした。


☆田園調布の銀杏並木、左右はお屋敷です、この奥に「君達君」のお屋敷は有りました。正面は田園調布駅です、下町(自由が丘、当時自由が丘は全く下町でした)の俺達には、結界だったのです。



君達、僕の家に来ないか?と誘われた、そうでない俺たち
僕?、僕ってなんだ(笑)


ある日曜日に訪ねたのでした。


小学校の南の方は、信じられない程のお屋敷街でした。
あまりそちらには行ったことがないのです、でも、
そうでない俺たち3人はおそるおそる結界を
越えて、足を踏み入れました。


お屋敷は大きい、一つの家を過ぎるのに相当時間掛かります。


おいおい、ここだよ、ここが「君達君」の家だと、
呆然と眺めて居ました。今見ればそうでもないので
しょうが、その門は高く大きく、来るものを
拒否して居ました。


どうしたら良いんだ!!、どうやって呼ぶんだよって、
とまどっている俺たち、いつものようにやるっきゃ
ないだろうって、大きな声で「君達君」を
呼んだのでした。


〇〇君~~~って、〇〇君~~


時間は丁度お昼を過ぎた頃です、人がこんなにもまばらで、
奥が見えないような所に住んでいる、そうでない俺達
には、初めての文化との出逢いでした。


〇〇君~~~〇〇君~~と、むなしく響く呼び声、
でも何度も何度も繰り返している内に、反応が有った
のです。


大きな門の脇にちょこんと有る小さな扉が、ギギギイーと
開いたのです。


信じられないものを見た、俺達は後づ去りをしました。
この世にこんな美しい女(お母様)が居るんだと
驚いたのです。


俺達三人は、多分同じことを思ったのだと、自分のかあちゃん
です、毎日毎日働いているかあちゃんは、同じ生き物だろう
かと思う程だったのです。


そしてまた驚いた、その声にです、鈴を転がすとはこのことか
と、美しく響くその音色にもう言葉を発することも出来ません
でした。


〇〇のお友達なのねと、ありがとうよく訪ねて下さいました、と


ごめんなさい、〇〇はお昼寝しているのよ、
だからもう少し後においで下さいますか?と


これが貴婦人!!だと(その時はそんな言葉は知らない)、
返す言葉は有りませんでした。


俺達三人は、わかりました!!と言ったかどうかも忘れましたが、
思わず自分達が着ているもの、そして履いている靴が、
とても不釣合いな場所であることは理解しました。


帰り道、着物だよ着物!!、いつも着物なのか、
でも美しいよな、君達君は、いつもあの人と一緒か!!


アホ!!、当たり前だろ~って、魚屋のあいつが言った


そのあいつが・・・、なあ、お昼寝ってなんだ?


う~ん、お昼寝なあ、昼間寝るってことだよな、君達君は


お前、昼間寝るか?、寝ないよな、でも授業中は寝てるよな
なんて、だんだんと落ち着きを取り戻した俺達でした、


誰からともなく、一つの言葉が口からあふれ始めました、


〇〇君は「お~昼寝」
〇〇君は「お~昼寝」と


訳がわからないことを何故か合唱しながら、下町へ帰ったのでした。



後でわかったのですが、君達君は、全世界に轟く有名時計会社
社長のおぼっちゃまでした。


慶応幼稚舎ではなく、庶民が通っている小学校に息子をと
思われたのでした、う~ん普通であれば出会えない、


そんな君達君は、絶対にアイスカップの蓋は舐めない
マーガリンって何?


なんだろうな(笑)