水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

一か月検診 今思うこと 癌にありがとうと

混んでいたなあ、病院・・・・・、


臨時の患者さんが一杯で、予約の患者が怒っていること
ったら、大変でした。


その怒りが全部、事務局員に向かいます、これは可哀そう
一部は看護師さんにも


何でこんなに怒るのかと、ご同輩達(泌尿器科の患者は
どういう訳かご同輩が多いです)、怒ると病は進行しますよ
と、心で思っていた私です。


でも、事務局員も慣れたもので、これがあしらうということかと
、感心もしました。


言葉を変えると、真剣にあしらう、のです。真摯に耳を傾け
ながら、でも駄目なことは駄目!!と言い切ります。


あまり酷いと、奥から男性のちょっと偉い人が現れて、ちょっと
こちらへとなるのです(笑)


ぼったくりバーと同じだなと、ちょっと昭和を思い出しました(ー_ー)!!



私の番が来ました。


もうこうやって、6年も通っているのです、でも絶対に
もう来なくて良いですよとは成りません。


いつもと同じ質問を受けて、いつもと同じ処方をされて
終わりです。


数値は、この1年2か月の間、変わらないのです、低いまま
推移しているのです。


これに対して先生からの言葉は消えました、私が聞けば
何かを答えるのでしょうが、もう聞かないことに
したのです。


その代わりこう伝えました。


先生ありがとうございます!!、お陰様で、小康状態を
保つことが出来て居ます!!と、


先生のお顔が一気に崩れるのが分かりました、野菜党さん
、今の状況は悪く有りませんよ、このまま続けましょう!!
と。



今までの質問、先生何故こんなに数値が変わらないのですか?
もう今は、何の処方もしていないのに、あんなに駄目だと
言われ続けたのにと、先生を責める私が居たのです。


でもなあって、身体の中で起こっていることは誰にも
分からないんだよねと、先生にも分からないんだと
そう理解するようになった私です。



先生を責めるのを止めた私、そうしたら先生から色々な
言葉が出始めたのです。


私の病の不思議な状況、こんな例は初めてなんですと、
先生の口が緩くなって来たのです。



もう6年だなあって、改めて思い起こしました。


5年過ぎれば寛解と呼ばれる癌の治療、あの頃はいとも
簡単に余命も告げられたなあって、それが2年でした。


その2年から、4年過ぎました、アメリカ製のお高い
薬を最後の絆として処方されていた私でした。


最後の絆、そう言ったよね先生はと、恨み節をぐっと
抑えて、先生の緩んだ笑顔を見つめる私でした。



こんな患者は、病院の記録から消え去って行くんだろうな
って、標準治療から外れた患者が居ました!!なんて、


残るはずも無いですね。


でも、でも、でも、です、一つの例外となっている今の
自分を、ほんのちょっと喜んでいる私がいることは
確かです(*^_^*)



いつか必ず、数値の上昇があるでしょう、このボートの
行先には大きな滝が待っていることは忘れることは
有りません。


それは心に留め置きながら、私は癌の場所をやさしく抑えながら


ありがとう!!と、伝えたのでした。