水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

死に甲斐について

死ぬだの余命だの、そんなことばかり多くなっています。
どうか、ご興味ない方はスルー下さい。


勝手な年寄りの戯言です。


☆小樽運河です、もう何年になるだろう。



さて、生き甲斐という言葉が有ります、あなたの生き甲斐は?
とか聞かれて、それは目標を持つこと、やりがいのある人生
とか、思ったものです。


ではあなたの「死に甲斐は?」と聞かれた時はどうでしょう。


死ぬのに甲斐なんて有るものかと、そうお答えになるかも
知れません。



私は思ったのです、それは余命を告げられたことによって
生まれた気持ちでした。


多くの人は、多少良くないことが有っても、死ぬということ
を突き付けられることは余り無いと思います。


生き物はいつか必ず死ぬ訳ですが、人はそれを突き付け
られないと、現実味は帯びません。



そしてある日それを突き付けられ、怯え、震えてしまう
のだと感じます。


昔、私の父母の時代では、死の宣告は本人には告げられません
でした。告げられるのは家族でした、ですから告げられた家族
は大変でした。


胃癌を胃潰瘍だと告げて大丈夫よ直ぐに治るからなんて、
めちゃくちゃなことを伝えて居るのかも知れません。


それが今はどうでしょう、告げられた本人が家族に嘘を
ついたりする、大丈夫だよなんて、言ってしまうのです。



話がそれました。


私は思いました、若い頃に生き甲斐を求めたように、
死に甲斐はどうなのだろうと。


それは死ぬ前の身辺整理だけではないだろう、葬式代
くらいは自分で用意しておく、そんなこともあるかも
知れない。


しかし最近それは、こういうことなのではないかと思う
のです。


真の生き甲斐こそが死に甲斐なのだと。


真のと付けました、これは今の私の気持ちとして書きました。


私達はこの人生で、知らぬ内に沢山の課題をいただいて
居ます、好むと好まざるに関わらずそれは雨のように
降り注いで居ます。


そこに、自分の人生の真の課題は隠れていると思います。


私の場合は、22年掛けて経営してきた赤字会社の真の
再建、そして悔い改めても戻らない、家族に本当に迷惑
ばかり掛けてきた、過去の人生の洗浄です。


だから必死で病と向き合っています、病が私を殺すのを
少しでも遅らせようと、もう少し時間をと願うからです。


過去の人生の洗浄なんて出来ないし、無駄なことかも
知れませんが、そういう気持ちを持ち続けたい、持ち
続けて死にたい、その渦中で逝きたい、そう思うのです。



失礼しました。