命の尊さを思い知らされた日
今朝は何故か眠れず(ホルモン注射が響いていた)、4時頃でしょうか、テレビを点けたら何と、北海道で大地震のニュース。
昨日関西に台風が来たばかりではないか、これでは休む暇もないよと、誰もが叫んでいる気がしました。
ここには、昨日まで元気だった人達が、急に亡くなるという惨い場面が映し出されます。これは医学が及ばない世界、私のように延命しか有りませんと宣告を受けても、医学は何とか余命を延ばしてくれます。
そうであれば、私の周りの人達は、その残された時間の中で、私との物語を終わらせて行けるのだと思うのです。最も、そう有りたいと思う周りが居ればですが・・・
私は、この瞬時に亡くなってしまう事故や、天災、が起きる度に、このことを思うのです。
それは・・・・、
命の尊さとは、いつも残された人達の胸に宿る「断腸の想い」なんだと、死んでいった人は何でもないという意味では有りません。死んだ魂の無念さを現す物語は、枚挙に暇は有りません。
でも、いつも、命の尊さを思い知らされるのは、残された人達なのです。その人との物語が、瞬時にプツンと切れてしまうのです、この現実を心が埋めることは出来ないのです。
その人を瞬間に失って、心に大きく穴があく、どうしたらこの穴が埋まるのでしょうか、それを正しく教えてくれる学問は有りません。
もし、それを教えてくれる神様がいらしたとしたらきっと、こう言うかも知れません。
時こそ愛なのです、と
私達は世界で最も風光明媚で温暖(最近は違う)で、世界が羨む国に住んで居ますが、
その国の立ち位置は、世界で最も地震が多い、最も台風が訪れる、玄関解放の国でもあることを忘れては成らないのだと、改めて思い知らされました。
いつも苦しむのは、残された者達であること、肝に銘じたいと思ったこの三日間でした。
失礼しました。
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