嘘は常備薬 真実は劇薬
お袋が入院し、先生に兄弟達が呼び出されて癌の宣告を受けました。先生が、貴方たちだけに伝えますと、後はお任せしますが、と。
私達は、お袋と親父には知らせないこととしました。特に、親父には肝炎で通そうと、合意したのです。
結果、お袋は、入院して三か月で逝きました。せっかちなお袋らしい逝き方でした。
でもなあ、あれが駄目だったよなと、兄弟が集まると話すことが有りました。でも、それも仕方が無かったか、時と共に、その記憶も薄れて来たことと、あのお袋のことだから、自分の病のことは言われなくても分かっていただろうと、祈る気持ちも有りました。
何が駄目だったのか、それは、親父に知れてしまったことです。親父はワンマンで、傲慢で(これは私に似ています)、でも、物凄く寂しがり屋でした。
親父はお袋が居ないと、何も出来ない人でした。そのお袋が入院してしまったのです、親父はある日一人で病院へ行き、先生に聞きただしたのでした。お袋の状態が、ただの肝炎ではないと思ったのでしょう。
結果、肝臓癌で末期と聞いたのでしょう、親父は愕然としたと思います、まさに真実は親父に取っても劇薬だったのです、肝臓癌であと三か月?、その時親父は71歳(今の私の年齢)、お袋は62歳でした。
人生に三つの坂あり、上り坂・下り坂、そして「まさか」という坂、親父はそのまさかに、出くわしました。
それから親父は毎日病院へ通いました、毎日です、自分勝手はそのままで、通い続けたのです。
ある日の光景に私は愕然としました、お袋の部屋の扉を開けたら親父がお袋の背中をさすって居たのです、ナンマイダ・ナンマイダと言いながら、です。
そして部屋が暑かった、お袋は汗びっしょりでした。親父は部屋に入ると、これでは寒い、身体に悪いと、温度を上げてしまうのでした。元来、親父は寒がり、お袋は暑がりでした。普通なら、患者の適温に合わせるはずですが親父は違ったのです。
そして親父は、温泉が溢れるように、自分の溢れる気持ちをお袋にぶつけてしまったのでした、それは真実の劇薬嵐だったと思います。
ずっと時間のある親父、ずっと働いている兄弟達、たまには昼間面会に行くと親父は居ます。私達は、お袋が心配するから、あまり頻繁には行かないで置こうと話し合って居ました、でも、それも何の意味も無かったのでした。
親父はお袋に、真実を浴びせ続けました。それが愛?と思ったのか、たまには嘘、なんて付ける人ではなかったのです。
先生に聞き、それをお袋に全部伝えていたのでしょう、お袋の憔悴は目に見えて分かりました。
ある夜、お袋は私に言いました。お父さんを何処かへ連れて行ってくれないかと、何だか苦しいんだよ、部屋が暑くて仕方がないんだよ、と。
後に姉が私に言いました、お母さんから、お父さんを頼むねって一度も言われなかったわ、と。
親父~聞いているかい、みんな親父の頑張りの下で、のうのうと暮らしていたこともあったよね、親父に感謝こそすれ、恨むなんてとんでもないことだよね、でもなあ、真実は劇薬だったよ、親父よ。
親父も大好きな、子供たちも大好きなお袋だったからね。
この表題の言葉は、心理学者故河合隼雄氏の言葉です。真実は時折、人の心を滅ぼす力があると。
嘘はいけないのですが、常備薬として持っていることは、時として大事なことも有りますね。
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