免許更新と大震災の記憶
☆あまり進みません、今週中にはと思って居ます。
三年置きのの免許更新、行って来ました。あれから6年、刻まれた記憶は忘れることは有りません。
世間ではゴールドなどと言う羨ましい制度に乗っている人々が居ますが、私は未だに「違反者」で、三年しか権利が無く、しかも更新は、鮫洲まで行かねば成りません。その鮫洲に行ってきました。
主題はこのことなのですが、実は、違うことに有ります。
今から6年前、三年毎の免許更新にやはり鮫洲に行きました。私は天街の無精で、ギリギリに成らないと免許更新に行かなかったのです、それが2011年3月11日でした、しかも午後の最後の講習に行ったのです(違反者は、2時間の講習を受けます、そして最後に必ず「佐田まさしの「償い」を聞きます」そんな時代でした。
忘れもしません、14時20分に始まった講習、暫くしてビル全体が揺れ始めました、まだ昔からの建物のままだった鮫洲試験場のビル、ギシギシと音を立てながら揺れ始めました。でもその先生は真面目でした、揺れる教壇の上で、机につかまりながら講習を続けて居たのでした。
その揺れが来たのが、午後14時45分頃でした、それが未曾有の大震災になるとは誰も思わなかったのでした。
生徒の一人が「先生、まだ続けるんですか!!、このビル崩れますよ!!」と
遥か、東京湾の向こうを見ると、コンビナートから火が吹いて居ました。
震度5弱、凄い揺れでした・・・、間もなく試験場全体にニュースが流れて、全員外に出るようにと指示が出されました。ぐらぐらと揺れ続けるビルの階段を、そろそろと下りた記憶が今も鮮明です。そして外に出ても揺れ続けて居ました。
つまり私は私の都合で、この大震災の日を忘れることは有りません。誕生日前後に行かねば成らない免許更新、その度に、この日のことを思い出します。そしてこれは大変なことが何処かで起きたと、私だけではなく講習者全員が思ったでしょう。
今日は3月10日、明日は土曜日で休み、仕方無く今日来たのです。
暫くして教官が言いました、今日はこれで講習は終了します(僅か20分の講習でした)、皆さんには免許証を講習が終了したことにして、お渡ししますと、何と優しい言葉と全員喝采でした。
しかし、その後のニュースで、本当は何が起きたのかを知ることに成りました。
そして後日、私の仕事があることに役立つことに成りました、それは次回書きます。
続く・・・・、
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