水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

親父哀歌

小原庄助さん


何で身上(しんしょう)潰した


朝ね朝酒 朝湯が大好きで


それで身上潰した ああもっともだ もっともだ



相津磐梯山という民謡の合いの手に歌われる歌詞です。


この合いの手が、親父は大好きでした。



親父は12歳で丁稚奉公に出て、それ以来貧乏解消で
働いて来ました、そして40年、50歳を過ぎた辺り
から、非常な上昇をしたのだと思います。


事業の成功、コツコツとした努力が招いた結果でした。


その頃からでしょう、この合いの手を歌い始めたのは、


でも、親父は歌詞を創作して居ました、それは誰にも
受けなかったのです。


小原庄助さん、何で身上起こした


朝ね朝酒 朝湯が大嫌い


それで身上 起こした 起こした



受けなかったなあ、またかと、お酒が入り親父が歌いだすと
家族、知人はしらけたのでした。


親父さん、大変だったねえ、と、誰にも出来ないことを成功させたんだと
誰も、そのように持ち上げることが無かったのです。


何でしょうね、人は自慢されるってことが、一番嫌いなんでしょう。



でも、世の中上手く出来て居ます、40年掛かって成功した
親父の財産を、たった二年で使ってしまった人が現れました。


それが私の兄です。


ある人に、物凄い冗談と皮肉を言われたことが有ります。


お前の兄貴は偉いな、親父さんが一生かかって儲けた金を、
二年で使ってしまったのだから、偉い偉いと。


この言葉にはおまけもついて居ました、欲で儲けた金は
欲で無くなると・・・。



でも、良かったなあって、親父は自分が創業した会社が廃業
したことも、兄貴が全部お金を使ったことも知らずに、逝っ
たのでした。


親父、今ならわかるよ、親父が歌った歌詞も、言いたかった
ことも、12歳から働いて働いて働いて、貧乏解消した親父
のことを、心から尊敬しているよって。