水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

三つ子の魂百までも

有名な諺、だけど、これって確かだよなって
今は思います。


他人を見て思うのではなく、己自身を観ながら、我が兄弟を見ながら
思うのです。


もっと言うなら、何が起きてもその人の気質は変わらない、
これが実感です。


☆厳美渓、前の会社の社員旅行でした。



あのアウシュビッツ収容所での心理学を確立したフランクル博士
が、それでも人生にイエスを言う、の中でこんな言葉を
書かれて居ます。


結局は、その人が、どういう人間であるかに尽きる、と。


どんな過酷な状況でも、自分より他人のことを思う人がいる。
たった一つのパンと薄いスープ、その唯一の栄養源を、他人
の為に取っておく人が居たと。


それは、毎朝の点検で、少しでも弱ったと思われた私達は、
将校の人差し指一本で、ガス室に招待されてしまうから。


自分はまだ元気だから、このパンとスープを残そうと、
そう思いそうする人がいたのだと。



この、その人がどういう人なのか、という部分、これは
残念ながら、教育の力ではなかなか産まれないと思うの
です。


つまり、人生の後天的要因では、なかなかその人間性は
進化しないのだろう、と。



何故、そう思うのか、それは長い間付き合ってきた私自身
を見てきた結論のようなものです。


変らないんです、私は、誰よりも先にちょっと楽をしよ
うとする気持ち、物事へのいい加減さ、人付き合いへの
苦手さ、思いやりが大事と言いながら、それを実行には
移さない生き方、等々


病を得て随分生き方が変わったとか、覚悟が出来てきた
とか、何度も会社が潰れそうになり、金策に走り回り
ながら、でものんびりとソフトクリームを食べていたりと、
緊張感がないという性格、これも立派に生きています。


(これまでのブログで、ずいぶん覚悟も出来たと書いて
来たのですが、本音はちょっとです、本音も一つではないな
んて、言いますが(笑))



ああ、やはり多額の負債を残して廃業した前の会社の
責任者である兄貴は、その寸前まで、飲み歩いて居ま
した、何百万も月に使う性格は、最後まで変わりませ
んでした。


そのまま倒れ、亡くなったのですから、幸せと言えば幸せだ
ったのかも、でも兄貴は最後にこんな言葉を私に投げ
掛けました。


俺は脂汗を流しながらお金を使ってきた、本意では
無かったんだ、でももうお金を使わなくても良いんだと・・・、


アホー、兄貴のアホー(何度叫んでも足りません)



三つ子の魂百までも


これはやはり、そうだなあと思うのです。


これでもかと試練を受け続けても、その人は変わらない
もしかしたらそれがその人の良さなのかとも、思ったり
自己弁護したりと、


書きながら忙しいです。