水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

へぼ将棋 王より飛車を可愛がり

以下はまた癌の記事です、ご興味ない方はスルーをお願いします。



今日は一か月に一度の検診日でした、これが楽しみな人を
私は知りません。


でも、この半年、かなりの変化が有りました、それを記述して行きます。



肝臓癌第四ステージからの生還、そんな記事を
読みました。


もう絶対に助かりませんと宣告されたのは奥様で、
余命三か月と、その時、どうやって家に帰ったの
か今でも思い出せないと。


これは平成12年頃のことで、彼は今でも
存命です。


いったい何が有ったのでしょう、医者が全員見放した病
肝臓がん、尋常では有りません。


私の母も肝臓がんで逝きましたので、その壮絶さは
分かっている積りです。



彼は、勉強したと書いて居ます、それが免疫システムの
ことだったと、自己免疫を上げるにはどうしたら良いのか
と学んだのでした。


長くなるので、これは続きとします。



もう貴方は駄目ですと言われてから、私は結構忙しかったです。


その夏に、大腿骨骨折をして、入院しました。


翌年の夏にヘルニアが見つかり、これも手術しました。


その翌年の正月明けに、背骨を圧迫骨折しました、骨が
弱っていると実感しました。



先生、命か背骨か、どうしたら良いでしょうって、
なぞなぞのような質問をしました。


私の癌の治療はただ一つ、ホルモン治療
だけなのですが、その薬に骨を柔らかくする成分が入って
いると、整形の先生が指摘、そのことを主治医に相談した
のです。


背骨も大事ですと、これが主治医の答えでした。


へぼ将棋、王より飛車を可愛がり
なんて言葉が有りますが、主治医はそれを実践しました。
(もっとも何をしても私は長くない、そんなことも有ったのかも)


これを続けなければ君駄目だ!!と言われた薬を中止したのです。


それが今年の4月のことです、これが命を支えていると言われた
薬を中止したのでした。


一番不安だったのは私、でも、もう一回背骨を折ったら
大変だと、命より背骨を守ったのでした。



その翌月からです、数値が下がり始めたのです。


これを飲まなければどうなるか分からないと言われた
薬を中止したら、下がり始めたのでした。


主治医はそれを見て、一か月くらいはこういうことも
あるでしょうと、軽かったです。



それから半年が過ぎました、何と、数値は下がり続けました、
何ということでしょう!!って、


テレビのビフォーアフターの言葉が浮かんで来ました。


今日の主治医、いや先月からでしょうか、何も話さなく
成りました、説明が出来ないことが起きている、
そういうことなのかも知れません。


私の免疫力が上がったのか、肝臓がんの彼の記事を見ると
そうとしか思えません。


でも、その原因が分からない、主治医にも分からない
だからしゃべらない、今日なんか、4時間待ちの1分
治療でした(なんだこりゃ、です)。



私が日々やっていることはただ一つ、癌に太郎と命名し、
それに語り掛けているだけです。


一緒に生きて行こうよ、共存だよと


そうお腹に手を当てながら、会話(勿論、一方的です)をしています、もし
誰かが見ていたら、もの凄い変な奴ですよ(笑)


(このこと、勿論主治医には話して居ませんよ、とても話せません)


長くなりました、ここまでお読み下さり感謝です。



まあ、一時のプレゼント、そう受け取ってはいますが、
肝臓がんからの生還を読んだ時、う~んとうなりました、
そういう人も居るんだと。