水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

心の温度差

司馬遼太郎作「竜馬が行く」、その中で。
竜馬と西郷の初顔合わせの場面が書かれて居ます。


竜馬は今一度、この日本を洗濯致しそうろうと
のたもうた人、私洗濯屋ですので、妙に感動しました(笑)


その竜馬が西郷について、このように感じたと
書かれて居ます。


勿論これは司馬遼太郎氏の想像の賜物でしょうが。


☆ブログのお仲間が撮った写真からです、もうこんな季節になりました、季節の温度差
を感じる頃頃です。



西郷という人はタイコのような人だと、


小さく叩けば小さく応え、大きく叩けば大きく応える、と



その一節の中で、一つのエピソードが載って居ました。
これは西郷が竜馬をどう感じたか、その部分でしょう。


西郷は初めて会う時に、生きた土産を持参したそうです。
それは一羽の小鳥でした。


竜馬はその小鳥を大切にするのですが、死んでしまいます。
次にまた西郷と逢う機会が訪れた時に、竜馬は
何食わぬ顔で、鳥かごを吊って居ました。


(どこかで同じような小鳥を仕入れたのですね)


それを見た西郷は思ったのです。


自分が送った小鳥はもう生きてはいないだろうと、
でも、ここにちゃんと生きている、それに西郷は
竜馬という人物の誠実さと熱さを感じたというのです。


その熱さ、大事な人の想いを裏切らないという気持ち
が放つ熱さなんだと、思いました。


(すみません、かなり原作をデフォルメして居ます)



竜馬と西郷が、このような出会いを本当にしたのか
と問われればそれは多分「否」と思います。


でも、その人たちはどういう人物なんだと説明する
よりも「物語」の方がストレートに伝わることを
司馬遼太郎氏はご存じなのだと。



温度、それは心の温度、この温度が、思想や
方針なんかよりもずっと大事なことなんだと、
司馬さんは教えてくれています。


昔昔、息子のことで学校に呼び出された時、担任が
このように私に言いました。


いったい、どんな育て方をしているのか、と


優しさのひとかけらも感じないこの一言で私は、
この担任との温度差を埋めようとは思いませんでした。


息子は多動児を言われ続け、私もその傾向を感じ続けて
居た矢先でした、いつも自分のクラスには居ない息子、
音楽室にいたり、理科の教室にいたり、保健室だったり
と忙しい息子、


考えて見れば面白い息子なんですが、担任はそうは
思えないですね。



すみません、主題は息子のことではないですね、
心の温度差、このブログのお仲間同士でも、多分、
書かれているブログの温度を微妙に感じていらっしゃる
と思います。


面倒くさそう、とか、面白いとか、関わりたくないとか
これみんな、伝わる温度だと思うのです。



経営者と社員の温度差、パートさんとの温度の違い、
いつも感じます。


さあ今日も出勤です、温度差の無い会社は無いですね
でもそれを少しでも縮めたい、そう思う日々です。