水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

自分を丸ごと愛された人は

幸せです。


何があろうと、幸せです。


どんな苦労も、苦労とは成らず、そのまま人生の糧となる人です。


それはまさに、前回の句


渋柿の 渋がそのまま 甘さかな


ですね。


何で、こんなことを書こうとしたのか、でもまあ、考えて見れば
こんなことばかり書いている気もして。



この頃、自分自身を、かなり好きになってきたなと思えて、
何故今更そうなのだろうと、疑問もあるのです。


自分ともう一人の自分、誰もがこの二人が格闘しながら
生きている、もう一人の自分は、何が気に入らない
のか、あらゆることに不快を示します。


何でお前はそういう選択をするんだ!!と、怒り続けるのです。
そして、どんどん、自分を嫌いになる自分が育ちます。


私の記憶を上げると、
1.幼い頃、祖母を叩いた記憶 
2.オネショを祖母が、怒った記憶
3.あることで、自分の性が歪んだ記憶
4.いじめられている友人をシカトした記憶
5.風見鶏のような卑怯な自分
6.好きになった彼女に、いじわるしか出来なかった自分
7.ちょっと、売り物をかすめ取った記憶
8.一時期でしたが、同性を良いなと思った自分
9.弱いものいじめな自分
10.強いものにはまかれる自分


上げれば、まだまだあります、成人してから働き始めた頃に、
全く人間関係が上手く行かずに悩んだ自分、仕事が出来ない
自分と、ことごとく自分を、嫌いに成りました。



今から思えば、母は未熟だったと思います、母の立場に立てば
いや立たなくても分かります、16歳で嫁ぎ、訳のわからぬまま
職人さん達の飯を作り、罵声も浴びながら働いて来た少女の母、
誰が母を責められましょう。


私は母の機嫌を伺いながら、育ったと思います。そういう意味で
母の愛は、条件付きだったのです。丸ごとは愛されなかった、
だから、その条件を必死にクリアしようともがいている自分が
いつも居たのです。



あのアウシュビッツ収容所で、極限の環境の中でも、自分以外の
人達のことを考えられる人が居たと、フランクル博士は記録
して居ます。


それは何故なのか、何故そういう心遣いが出来るのかと、
フランクル心理学は生れたと。



それは多分、丸ごと愛されて育った人、両親の愛を一身に受けて
育った人だったと、そう思えてなりません。



私は余命を宣告された時、ふわふわと漂うような気持ちを
味わいました、それは何とも言えない虚脱感のような感じ
だったと。


そして若い頃、あんなに死にたい死にたいと思っていた自分が、
いざそれに直面した時に、実はそうでは無かったことに
気付いたのでした。


死にたくない、いや、言い方を変えると、このままでは
死にたくない!!、そう思ったのでした。



和解してから死にたいと、嫌いな自分を、嫌ったままでは
死にたくないと


私は、幼き母をも含めて、私自身の不愉快な歴史も全部、丸ごと
愛してやりたい、何時の日かそう思い始めました。


きっかけは何だったのか、ですか?、それは病のお蔭だと、
お別れを告げられた、あの時のお蔭だと思っています。



長く成りましたのですみません、今日はこれくらいで、


自分を自分が、丸ごと愛すること、それは物凄く大事なことと
今は強く思う私です。