水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半

このことわざ、あるニュースで取り上げられ、
昔昔を思い出しました。


ある先輩の夫人が私に、野菜党さん、人はこれ以上は
必要ないのよと、このことわざを話してくれたのです。


でも、私には違和感満載でした、ある部分この通りとも思いましたが
実際、こんな生活をしている人は居ないからでしょう。


このことわざの源泉は、信長とも秀吉とも言われています。
お二人とも天下を狙い、ある意味豪勢な生活をされたようです。


そういう意味では、自らを諌めようとした言葉なのかと



しかし、このことわざを地で行くような
兄貴の友人の生活を思い出しました。


田舎から東京に出てきて、大学に通い始め兄貴と知り合いました。
極貧の生活だったと、兄貴の言葉です。


大学の入学金、そして授業料は全部バイトだったと、そして契約した
アパートが、三畳の部屋(私は行ったことはないです)で、そこに
何か家具らしきものを置くと、寝る所がないんだと


だから必要なものは押入れに突っ込み、三畳には折りたたみの
ちゃぶ台一つだったと


そこに友人が集まり、酒宴となり、寝ることになったと、人数は5人
で、それこそ折り重なるように寝たんだとか(笑)


玉石さ~ん、お元気ですか~、懐かしいです、拙宅にも
尋ねてくれた先輩でした。



まさに極貧だったと、先輩は9人兄弟の9番目で、田舎にお金の
おの字も無かったと、でも勉強したいと上京したのでした。


そして卒業後、あの山一証券に入り、課長まで出世しました、
しかし田舎の母親の目が見えなくなり、急きょ田舎に帰った
のでした。


(この話は、後日記します)


急きょ帰ったあと、数年後に、山一証券は倒産しました、この
ことも驚いたのですが。



この先輩の生き方が生涯私を動かしました、辛い時に思い出す
のです、あの先輩はああだったなあ、先輩だったらどうする
だろうかと・・・、


野菜党君ねえ、何もないって良い事なんだよと、いつでもゼロ
から出発すれば良いんだと、背中で教えてくれたのです。



起きて半畳寝て一畳、天下取っても2合半


これは、心構えのことなのですね、覚悟とも言うのでしょう、
先輩は田舎に帰ってから、また苦労を背負ったのでした。


その生き方が何故かこのことわざに重なる私です。