水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

親苦 子楽 孫貧乏

長者三代続かず、このことを明言した言葉が表題です。


私の家も、全く長者ではないですが、この道を見事に習って来たと
アホな歴史を時折思い出します。


親父は苦労した、これは言葉で現せません、それが
どんなに苦労だったかは、親父自身も貧乏を乗り越えた
あとは忘れてしまったかも知れないと思うのです。


貧乏解消これが親父の口癖でした、そして小さな事業に
成功し、土地バブルも後ろを押し、財産というものを
手に入れたのでした。


少々の財産、そんな財産少しでも有ると、二代目は有頂天になる
ものです。


その二代目の中にこの私も入って居ました、兄弟三人で
親父が起こした会社を継いだのです。


親父の真面目さも受け継いでいたとは思いますが、それ以外の
素質である(これは血ですね)呑む・打つ・買うも
引き継いでいたのです。


でも怠けっぱなしでは有りませんでした、引き継いだ事業と
土地を担保に新たな事業もスタートして居ました。


それが貿易業でした、アメリカから衣料品を輸入し、アメ横
で売る、この商売は順調に進展して行きました。


ある日、本当にそれはある日でした、東証の株価が大暴落した
のでした、それがリーマンショックの始まりだったのです。


土地担保で借りていたお金を銀行が回収に来たのはそれから
あまり日は過ぎて居ませんでした、土地価格が一挙に
10分の一となったのです。


このリーマンショック前まで兄貴は、遊び歩いて居ました、
私共兄弟の良くない血が騒ぎまくっていたのです。


会社は倒産しました、兄貴は倒れました、もうその時には
親父が作った僅かな財産は、塵と消えていたのです。


会社の倒産は、土地担保として入っていたそれぞれの自宅
も銀行の生贄に成りました、兄弟三人とその家族は
まさに路頭に迷ったのでした。


これが今から25年程前のことです、倒れた兄貴は間もなく
黄泉の国行きの列車に乗ったのでした。


本当に幸いだったのは、この倒産劇の少し前に親父が他界
したことです、他界したことが幸いなのでは有りません、
この倒産劇を親父は知らずに済んだこと、です。



それから2年後、私は貿易の陰に隠れてしまった親父が
立ち上げた、本業のクリーニングを再立ち上げしたの
でした。


銀行から追われないように、全く違う名義で立ち上げたのです。
(まだ債務は残っていたからです)



あれから22年が過ぎました、立ち上げたのが50歳でした、
何でかなあ、今から思うと何でそんなエネルギーが有ったのか
と、ぞっとする時も有ります。


美空ひばりの歌、振り返れば遥か遠く故郷が見える~と


ああ、そうです、親苦・子楽・孫貧乏でしたね、
この見本のような人生でした、あまり誰かに
お勧めできるような道ではないですが、


今更何とも出来ませんが、こういう人生もちょっと
面白かったと、ほんの少し思うことも有ります(笑)