水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

死とは常に 残された者達への課題

東日本大震災から10年、数々の特集を観ました。


三人のお子さん全員を(8歳、10歳、13歳)を失われた
ご夫婦の物語


お父さんお母さんを瞬時に亡くされた一人息子さんの今の姿


それでも尚生きてく尊い姿を見せてくれました、しかし水に
浮かぶ氷の大部分が見えないように、心の奥底は
垣間見ることも出来ません。


☆写真は、娘の家(鋸南)から望む東京湾です。絵を描こうとしたのですが、ちょっと
 無理でした(ー_ー)!!



その中のこれはあるご家族の物語です。


山本ナツさんと美和さん、二人は親子で、美容院を経営していた。


そこにあの大津波が襲った!!、ご家族はお二人の他に4人
合計6人のご家族は、津波が来るぞ~というニュースに
直ぐに車で逃げようとしたのです。


しかし6人は乗れない、仕方なくナツさんとおじいちゃまは
バイクと自転車で逃げたのでした。


それがどう幸いしたのか災いしたのか、今は振り返るのも辛いでのですが、
車で逃げたお母さんとお父さん、そして兄弟達は
津波に巻き込まれたのでした。


それから数年、ナツさんの心は動かなったのでした、身体を
動かし生きてはいるのですが、それはまるでロボットだった
のでしょう。


おじいちゃんは、発見された車の前で毎日涙を流して居ます。


ある日、それは突然でした、美容室の看板が見つかったのでした、
ナツ美容室、お母さんの名前の書かれた看板でした。


しばし呆然と看板を眺める美和さん、お母さんと一緒に
働いていた毎日を思い出します、それが益々辛さを
増させるのです。


でも、その看板自身がだんだんと美和さんの心に
染み入り始めたのでした。


そうだ、そうだなと、私はお母さんと一緒にこの美容院を
やっていたんだ、と、もう一度美容院が出来ないだろうか
と、それがもう一度母と共に生きることだと



2019年、美容院がオープンしたのです、あれから8年
の歳月が流れて居ました。その美容院にはあのお母さんの
看板が掲げられていました。


しかしそれで彼女の心が戻り切ったのでは無かったのです。


やっとの想いで開店した、これで良かったのかと
心の模索は続けられていました。


でも、そのどんよりとした心をだんだんと青空に変えてくれた
沢山の力に出逢いました。


それが・・・・


美和さんは、お客さんと鏡越しに語り合うことで皆同じ
悩みを抱えていたことを知り、気持ちを切り替えられた
と言うのです。


それはお客様も同じだったのでしょう、人間同士とは、
分かりあっているようで、全然そうでも無かったんだと
理解したのでした。


お母さんありがとう!!、これで私はもう一度生きて行け
ます、と。


そして今もあなたと一緒です、と。



死とは常に、残された者達の課題です。


肉体の死、心の死、私達人間は面倒くさいほどに、様々な
死を感じます。


お母さんを亡くされて肉体の死に直面し、美和さんは自分の
心の死に至った、もう生きてはいけないと



美容院をオープンして生きる力を取り戻した美和さんを見て
傷心していたおじいちゃまも車の前で涙を流すことは
無くなったのでした。


生きて行こう!!、お前たちの死を決して無駄にはしない為に!!
と、


残された者達の課題を今やっとクリアしようとする二人は、
あの憎たらしい海を眺めながら、その夕陽の美しさに
圧倒されるのでした。