水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

バッパの手を離せ!!

大震災の直後、大谷慶一さんは海の異様な
引き潮を観た。


今まで見たことが無い、見えないはずの海の底が延々と広がっていたのです。


はっと思った、この引き潮は大津波の前兆だと・・・・、
直ぐに引き返して家に向かった、


もうその時は後ろから津波が引かづいていたのだった。


かあちゃん!かあちゃん!と呼び続けた、かあちゃんは
近所のバッパの手を握り、一緒に逃げようとしていた。


バッパとはおばあちゃんのこと、この辺りの方言だった。


バッパは二人だった、かあちゃんの手を握っているバッパ
とそのバッパの手を握っているもう一人のバッパだ。


大谷さんは思わずかあちゃんに叫んだ!!、


バッパの手を放せ!!、放せ!!と、かあちゃんに
叫び続けた


一人のバッパは、足が悪かった、とても山には逃げらない


何度も叫んだ、かあちゃんはバッパの手を放した、その時
大谷さんは、放されたバッパの自分を見つめる目が
焼付いたのでした。


呆然とも違う、何か怯えるような目が焼付いたのでした、
それがトラウマとなったことは疑う余地も無かった。


二人のバッパは、津波に巻き込まれて帰らぬ人となったのです。



大谷慶一さん、しばらくして大震災の語り部となった。


どうしてもあの目が頭から離れない、手を放されたバッパの
何とも言えない目が焼付いているのです。


どうしたら忘れられるのか、どうしたらどうしたらと考え続けて
いる内に、ある語り部の話を聞いたのでした。


何でも洗いざらい話す、それを聞きながら大谷さんは思ったの
でした、そうだ!!、こうなんだと、自分に出来ることは、
この自分がやってしまったことを正直に話して聞かせる
ことしかない、と。


何もかも正直に、バッパの手を放せ!!と叫んだそのことを
伝えて行こうと決意したのです。


大谷慶一さんはそれから、大震災の語り部と成りました、たった
一言を伝える為に、そんなことに成らないようにする為に、
語り続けたのでした。


いくら語っても、あのバッパの目は消えることは有りません
でしたが、語り続けていく内に、心の中で溶けていく何かが
、固く固く固まった何かが溶けていくのを感じたのです。


バッパの手を放せ!!、それは絶対間違っていたんだと、
でもあの時は、そうするしか無かったんだと、


素直に真っ直ぐに、謝れる自分を感じ始めたのでした。