水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

主治医の言葉です「私はこういう事例を知りません」

昨日は一か月検診日でした、表題は主治医の言葉です。


告げられた余命?を過ぎてもう4年でした、この頃
数値(癌の元気度を測る指標)は余り動かず、
でも、たまには覗いて観ましょう、と


一番、転移するであろう骨の画像(特殊なレントゲン)と、全身を観るCT画像
を撮ったのが一週間前でした。


主治医は、数値よりも画像が大事と私に告げました、数値
に現れて居ないことが貴方の身体の中で
起きているかも知れないと。


☆絶え間なく流れ続ける谷川、以前に描いたものです。



そして昨日を迎えました、私は内心ドキドキでした、何かは
あるだろうと、無ければおかしいからと


私を検診する度に主治医が見せるあのお顔、?????な
お顔が、変わるようなことが必ず起きているはずだ!!


そして結果は・・・、


何にもないですね~、骨は大丈夫(その骨の画像は
理科教室の骸骨そのものです)を言われそれを眺める私は、
これが俺の骸骨かと(笑)


骸骨だと、福山雅治も同じだって、何の違いもない!!って
(どうでもよいが)


全身CTも同じように眺めながら、癌はちゃんとここに在りますねと
でも、他に広がってはいないよねと主治医の独り言です。


そして私に向き直り言ったのです。


私はこういう事例を知りません、と


この事例、今後の資料として良いですか?と、稀なことですから、と



はあ?と私、それ以上は言葉に成りませんでした・・・・、


安堵と不安が入り混じったような気持ちが心に広がりました、
自分は生かされているんだろうかと、スピリチュアルな
言葉も浮かびました。


いや、もっと働け!!ということかと、お前にはやらねば
成らないことがあるだろうと、その為の時間をもう少し
上げようって


確かにそうだと、そんなことは無いことは分かっているが、
そう理解しようと、思ったのです。



こういう方も居ましたと、重篤な癌患者を励ます手段としての
事例なのか、いやそれは無いだろうと


科学的根拠の見えない事例は、病院の棚の奥に終われると聞いた


これは宗教的な祈りの結果でしたと事例が有ったとしても、
そんなもの、取って置く価値はないだろう



あと数年生かせてくれれば、必ず立ち直る会社と
病院帰りに、その会社へ戻りました。


長い長い再生への道、もう23年過ぎたな、と


親父が興した小さな会社、昭和9年
に産声を上げた小さな会社のDNAは確かにここに
息づいている、それを潰してはならないんだと


いやもう、一度潰れているだろう、それをお前が
勝手に興しただけだよなって


その為の命なのかと、分からないことだらけだ、


でも、そう思おうと、自分はその為に生まれて来たんだと
それでその結果周りに、少しでも幸せな人が生れれば
それで良いではないかと



命ってなんだろう、生きているってなんだろうと、思いながら
溜まってしまったシミヌキと向き合った(-_-;)