友の苦しみ 水彩画
私は友人と呼べる知り合いは少ない
今も付き合っている友人は数人か、それも長い 長い 長い
思い出して見れば、どうしてなのだろう、高校と大学(中退)
では友人は出来なかった
長い長いと書いたのは、全員、小学校から中学の同窓生だから
その友の一人が入院した、急なことでした。
俺さあ、階段上がると息が切れるんだと、珍しく弱音を吐いた
彼、ちょっと医者へ行って来るわ、と
症状はその本人しか分からない、息が切れるってどれくらいなのか
も実は分からない
この小学校の仲間で、クループラインが出来ている、便利な時代だ、
そのグループラインに 入院 という文字が並んだ
膵臓が疑わしいという、念のための入院と有った
検査の結果、手術か経過観察かとなったらしいが、家族は手術をして欲しい
と、俺は嫌なんだけど家族がそう言うからと、手術となったのです。
情報は乏しい、でも、家族がそう言うと言うことは、そういうこと
なんだろうと、ラインの仲間達は察したと思う
私の病の時は、100%私に知らされた、患者重視ということらしいが、
これはこれで苦しいもの、家族に伝えるのは私だから、それは
それで辛かったなあ
手術は行われた、8時半に始まった手術、終わったのは18時だった
なんと、10時間近い手術で、奥様から、膵臓の三分の二、十二指腸
、胆嚢、胃の一部を切除と報告が有ったのです。
誰もが思った、そうだったのか、そんなに悪かったのか、もしかしたら
知らないのは本人だけだったのかと
それから約2週間、彼からのライン参加はない、誰よりも友人達を気遣う
彼のこと、少しでも体調が戻ったら真っ先に参加することだろう
今そのグループラインでは、たわいもない話が飛び交っている、彼がもし
見たら、直ぐに参加できるようにとの計らいも感じられる内容と思う
小学校を卒業してからバラバラになった仲間達、卒業して35年を過ぎた
頃に、集まらないかと連絡をしたのが彼でした。
自由が丘の小さな和食の店に集まった仲間達、最初は相手を確認しながら
の邂逅でした。
そしてそれからもう25年だろうか、今彼の苦しみが聴こえてくる
今仲間達は耳を澄まして、彼の声を待っている、いつまでも待っている
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